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電通の内部留保は過去最高の8千億円=いますぐ社員倍増でき過労死招く長時間労働の解消可能

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資本金10億円以上の大企業の内部留保は過去最高を更新し続けています。大企業の内部留保と比例するのは以下のような労働者の貧困の増大です。

 

 

 

 

 

 

 そして、「ブラック企業大賞」となった電通の内部留保の推移が以下です。

 

 

 上のグラフにあるように、電通も過去最高の内部留保8,098億円となっています。電通の社員は、4万3,583人なので、一人当たりの内部留保額は1,794万円にもなります(2015年度)。

 

 電通の社員の平均年収は1,301万円ですから、電通はいますぐにでも社員を2倍以上増やすことが可能なのです。

 

 ですので、社員に現在月100時間以上の残業をさせ、不払い残業も横行させている電通の過労死・過労自死を招く長時間労働は、社員を増やすことによる「時短・ワークシェアリング」でただちに解消することが可能なのです。

 

 あわせて、朝日新聞の報道を紹介しておきます。

 

「まつりの死で世の中が大きく動いた」 母親の手記全文
朝日新聞 2016年12月25日04時00分

 

高橋まつりさんの母、幸美さんが公表した手記(全文)は次の通り。

 

働く人全ての意識変えて 電通過労自殺、母が命日に手記

 

 まつりの命日を迎えました。

 

 去年の12月25日クリスマス・イルミネーションできらきらしている東京の街を走って、警察署へ向かいました。?(うそ)であってほしいと思いながら・・・。前日までは大好きな娘が暮らしている、大好きな東京でした。

 

 あの日から私の時は止まり、未来も希望も失われてしまいました。息をするのも苦しい毎日でした。朝目覚めたら全て夢であってほしいと、いまも思い続けています。

 

 まつりは、あの日どんなに辛(つら)かったか。人生の最後の数か月がどんなに苦しかったか。

 

 ログイン前の続きまつりはずっと頑張ってきました。就職活動のエントリーシートの自己PRの欄に、「逆境に対するストレスに強い」と書いていました。自分が困難な境遇にあっても絶望せずあきらめないで生きてきたからです。10歳の時に中学受験をすることを自分で決めた時から、夢に向かって努力し続けてきました。

 

 凡才の私には娘を手助けできることは少なく、周囲の沢山(たくさん)の人が娘を応援してくれました。娘は、地域格差・教育格差・所得格差に時にはくじけそうになりながらも努力を続け、大学を卒業し就職しました。

 

 電通に入ってからも、期待に応えようと手を抜くことなく仕事を続けたのだと思います。その結果、正常な判断ができないほどに追い詰められたのでしょう。あの時私が会社を辞めるようにもっと強く言えば良かった。母親なのにどうして娘を助けられなかったのか。後悔しかありません。

 

 私の本当の望みは娘が生きていてくれることです。

 

 まつりの死によって、世の中が大きく動いています。まつりの死が、日本の働き方を変えることに影響を与えているとしたら、まつりの24年間の生涯が日本を揺るがしたとしたら、それは、まつり自身の力かもしれないと思います。でも、まつりは、生きて社会に貢献できることを目指していたのです。そう思うと悲しくて悔しくてなりません。

 

 人は、自分や家族の幸せのために、働いているのだと思います。仕事のために不幸になったり、命を落とすことはあってはなりません。

 

 まつりは、毎晩遅くまで皆が働いている職場の異常さを指して、「会社の深夜の仕事が、東京の夜景をつくっている」と話していました。まつりの死は長時間労働が原因であると認定された後になって、会社は、夜10時以降消灯をしているとのことですが、決して見せかけではなく、本当の改革、労働環境の改革を実行してもらいたいと思います。

 

 形のうえで制度をつくっても、人間の心が変わらなければ改革は実行できません。

 

 会社の役員や管理職の方々は、まつりの死に対して、心から反省をして、二度と犠牲者が出ないよう、決意していただきたいと思います。

 

 そして社員全ての人が、伝統を重んじることに囚(とら)われることなく、改善に向かって欲しいと思います。

 

 日本の働く人全ての人の意識が変わって欲しいと思います。

 

 以上

▼関連


時短・ワークシェアリングで若者の雇用は改善できる ? 若者の雇用をさらに破壊する「残業代ゼロ・過労死促進法」

 

日本の有給休暇の消化率が2016年調査で世界最下位、週60時間以上働く労働者の3割が1日も有休取得せず、欧州見習って有休完全取得すれば正規雇用を160万人創出できる

 

(井上伸)

 


日本が富裕層人口の増加でアメリカ抜き初めて世界一に(2016年対前年比)、アベノミクスで格差拡大

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 クレディ・スイスが12月9日、「2016年グローバル・ウェルス・レポート」を発表しています。そのプレスリリース等の一部です。

 

○日本は国別で前年に比べ最も高い伸び率を示し、総額3兆9,000億米ドルの富の増加を達成。2番目に伸び率が高かったのは米国で、1兆7,000億米ドルの増加。
○日本のミリオネア(資産総額100万米ドル超の富裕層)の数は2015年の2,088,000人から増加して2016年には2,826,000人。738,000人増は世界最大の増加数。世界2位を維持。

 

 上記の「世界の富のピラミッド」にあるように、世界の成人人口のわずか0.7%の富裕層が、世界の富の45.6%を独占しているわけです。

 

 そして、世界トップ1%、10%の日本の富裕層人口は以下です。(※下の表は、クレディ・スイスの「2016年グローバル・ウェルス・データブック」に掲載されているものです)

 

 

 上の表を一目で分かりやすくするため、トップ3の日本とアメリカとドイツの富裕層人口の増加をグラフにしてみたものが以下です。

 

 

 富裕層の対前年人口増加で2016年に日本はアメリカを抜いて初めて世界一になっています。これまで、「増加率」ではアベノミクスの1年目で世界一を達成していますが、富裕層人口増加数では初めての世界一です。

 

 そして、このクレディ・スイスのデータをもちいて、アベノミクスの始まる前の2012年を100にして、2016年の富裕層上位1%と下位90%の富のシェアをグラフにしたものが以下です。アベノミクスを早くやめさせなければ、貧困と格差は拡大するばかりです。

日本の賃金(総コストに占める割合)は世界最低、貧困大国アメリカを上回る「ワーキングプア大国日本」

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 OECDのデータを見ていたら、いくつか新しいデータとレポートがありましたので、紹介しておきます。

 

 いちばん驚いたデータ(OECD生産性統計)をグラフ化してみたものが以下です。

 

 

 上のグラフにあるように、日本の賃金(総コストに占める割合)はOECD35カ国でデータがあるものの中で、最低です。しかも、直近の2014年に過去最低を更新しています。まさにアベノミクスによって賃金が最も少ない割合になってしまっているのです。

 

 上のグラフだと分かりづらいので、直近の2014年の数字だけでグラフ化してみたものが以下です。

 

 上のグラフにあるように、日本は断トツで最下位です。

 

 それから、OECDは2016年11月に所得不平等に関するレポートを発表しています。いくつか分かりやすくするため以下グラフ化してみました。

 

 下のグラフは、1年を通して働いているにも関わらず貧困状態に置かれるというワーキングプア率を、OECDの主要国で見たものです。日本は「貧困大国アメリカ」を1.8ポイントも上回る13.3%で主要国最悪の「ワーキングプア大国」であることが分かります。最初に見たOECDの中で最も低賃金であることが「ワーキングプア大国」につながっていると言えるでしょう。

 

 

 

 上のグラフにあるように、日本はアメリカに次ぐ貧困大国であるにもかかわらず、昨年の国会答弁で安倍首相は世代間に不公平があって、高齢者だけが現役世代や若い世代より得をしているかのような発言を繰り返しました。これも大ウソであることが、OECDのデータを見るとよく分かります。

 

 

 

 

 上のグラフにあるように、子どもの貧困も、現役世代の貧困も、高齢者の貧困も、どの世代をとっても日本の貧困は深刻なのです。安倍首相が言う高齢者だけが得をしているなどという事実はありません。(※ここで、よくあるのが、高齢者は貯蓄をしているから所得の貧困率だけで見るのは間違いだというものですが、この点については、以前「高齢者が貯蓄を独り占め?→事実はアベノミクスで高齢者も若い世代も同じように貯蓄ゼロが激増、社会保障など老後の備えが欧米と比べて極めて劣悪な日本」というエントリーをアップしていますので参照ください)

 

 世代間不公平や世代間格差などを根本的な問題とする安倍首相の主張が間違っているとしたら、どこに格差の問題は存在するのでしょうか? この点にもOECDのレポートは答えを用意しています。

 

 

 

 上のグラフにあるように、日本はアメリカほどではないにせよ、富裕層上位と所得下位の格差が拡大している「格差大国」なのです。そのことは、ピケティ氏らによる「世界の富と所得のデータベース」が昨年12月20日にリニューアルされてより分かりやすくグラフ等が作れますので、富裕層上位10%の所得シェア推移を、日本とアメリカとフランスでグラフ化してみました。

 

 

 当たり前ですが、富裕層上位10%の所得シェアが右肩上がりになるということは、一方の下位90%の所得が減っていくといことです。一目瞭然、日本はアメリカの富裕層を追いかけている「格差大国」「貧困大国」です。そして、世代間格差が根本的な問題ではなく、富裕層上位10%と下位90%の格差、そしてこの格差拡大の主な原因である日本の低賃金とワーキングプア増大こそが日本の根本的な問題なのです。

 

井上伸

日本の高等教育は私費負担が異常に重い=OECD平均の2倍以上、学生一人当たりも公的支出は低い

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以前アップした「大学など高等教育への日本の公的支出は6年連続でOECD最下位、33カ国平均の半分以下と突出して低い大学への公的支出は日本の「競争力」低下と連動している」に対して、「日本は少子化が進んでいるのだから子ども一人当たりで見れば公的支出は高くなるから問題はない」との意見が寄せられました。本当でしょうか?

 

OECDのデータを見てみましたが、「子ども一人当たり」についてのデータは見あたりませんでした。見つけたのは、「高等教育機関の在学生一人当たりに対する公的支出」で、分かりやすくグラフ化すると以下です。

 

 

上のグラフにあるように、学生一人当たりで見ても日本はOECD32カ国平均の7割しかありません。学生一人当たりで見ても日本の公的支出は低いのです。

 

さらに日本の公的支出が低いことを如実に表すデータが、以下の「日本の高等教育支出に占める私費負担割合」です。

 

上のグラフにあるように、日本の高等教育支出に占める私費負担割合は65%とOECD34カ国平均の30%の2倍以上と、韓国に次いで高等教育が自己責任になってしまっているのです。

 

そして、下のグラフは、この私費負担割合と子どもの貧困率を主な国で見たものです。高等教育の私費負担割合が高い国は、高等教育が自己責任になっている国であり、この教育の自己責任が、子どもの貧困につながっていく部分も大きいと言えるのではないでしょうか。

 

(井上伸)

6年前は富裕層388人→現在は8人の資産が世界人口の半分の36億人分と同じ、この数年で格差超拡大

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 朝日新聞の報道です。

 

富裕層トップ8人の資産、36億人分と同額 NGO試算
朝日新聞 2017年1月16日21時45分

 

 国際NGO「オックスファム」は16日、2016年に世界で最も裕福な8人の資産の合計が、世界の人口のうち、経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じだったとする報告書を発表した。経済格差の背景に労働者の賃金の低迷や大企業や富裕層による課税逃れなどがあるとして、経済のあり方に抜本的な変化が必要だと訴えている。

 

 スイス金融大手クレディ・スイスの調査データと、米経済誌フォーブスの長者番付を比較して試算した。下位半分の資産は、上位8人の資産の合計約4260億ドル(約48兆6千億円)に相当するという。

 

 オックスファムは昨年の報告書で、15年の下位半分の資産額は上位62人の合計(約1兆7600億ドル)に相当するとした。今回は新興国で詳細なデータが追加されたことで、下位半分の資産額が世界全体の資産に占める割合は、15年の0・7%から0・2%に減った。今回の報告書で使ったデータをもとに15年の資産額を計算し直すと、下位半分の資産額は上位9人の合計に相当するという。

 

 報告書は1988年から2011年の間に下位10%の所得は年平均3ドルも増えていないのに対し、上位1%の所得は182倍になり、格差が広がっていると指摘している。経営陣に比べて労働者の賃金が上がっていないことや、大企業などがタックスヘイブン(租税回避地)を使って納税を回避することで発展途上国を中心に税収が減り、下位の層に影響を与えていることが背景にあるとしている。

 

 オックスファムは富裕層などへの課税強化などを呼びかけ、国内総生産(GDP)の成長を政策目標に掲げるのは誤りで、経済規模でなく、富の分配を反映した指標の採用が必要だとも指摘した。17日に始まる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)を前に、政府や経済界のトップに対応を求めた。

 このオックスファムの格差に関する報告書「99%のための経済」過去にさかのぼってみると、世界人口の半分と同じ資産を持つ富裕層の人数の推移が分かります。それをグラフにしてみたものが以下です。

 

 

 今回発表の報告書において、オックスファムは新興国の新たなデータが加わったことで、2015年の人数は「62人ではなく9人」としていますので、上のグラフも2015年は9人にしています。

 

 上のグラフにあるように、2010年の388人から2016年のわずか8人と、この6年で48分の1の超富裕層に富が集中し格差は極まっています。ところが、この格差もさらに拡大するとオックスファムは警告しています。

 

 

 上のグラフは、オックスファムの2015年の同報告書に掲載されているものです。トップ1%の資産は2016年の時点ですでに99%の資産を上回っているのですが、このまま推移するとトップ1%の資産は右肩上がりに増え続け、99%の資産は減り続けると予測。トップ1%の資産が99%の資産をはるかに上回ってしまう1%のためだけの世界にますますなってしまうと警告しているのです。

 

(井上伸)

政府案「残業月100時間」「2カ月平均80時間」は過労死を政府が容認するもの

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 過労死の労災認定基準は、脳・心臓疾患が発症する前の1カ月間に月100時間超、または2カ月から6カ月間に月80時間超の残業です。

 ところが、政府は2月1日、「働き方改革実現会議」の中で、単月なら100時間、その翌月と合わせた2カ月平均では80時間までなら残業を認め、残業上限を月平均60時間、年間計720時間までとする政府案に沿って議論を進めています。

 「単月なら100時間」「2カ月平均では80時間」というのは、今現在の過労死ラインです。政府は労働者が過労死してしまう残業時間を「残業の上限規制」にしようとしているのです。言い換えれば、企業が労働者を過労死するまで残業させることを政府が容認するということです。現時点で安倍政権の「働き方改革」というのは「過労死容認のための改革」と言わざるをえません。

 佐々木亮弁護士の「法として時間外労働は100時間までならOKというメッセージを発信するのは危険」、「特に法を守らないブラック企業が、『法律が100時間まで働かせていいと言っているのだ!』などとわけのわからないことを言いだしそうで、想像するだけで暗澹とした気持ちになります」との指摘に同感です。

 実際のデータでも見てみましょう。

 下のグラフは、厚生労働省「過労死等の労災補償状況」の中にある「脳・心臓疾患の時間外労働時間数(1カ月平均)別支給決定件数」の「死亡件数」から作成したものです。
 

 上のグラフを見れば分かるように、過労死の件数は残業80~100時間のところが最も多くなっているのです。

 下の表とグラフは、割合でも見たものです。
 
 

 上記にあるように、残業80~100時間は過労死の44.1%を占め、残業60~100時間になると51.8%を占めます。データで見ても、現在の政府案は過労死の半分以上を「容認」するものなのです。上の表にあるように、過労死をなくすためには、残業の上限規制を月45時間未満にする必要があります。そして何より原則は残業なしで8時間働いたら帰る、暮らせることです。いま「わたしの仕事8時間プロジェクト」がネット署名を集めていますので、ぜひご協力をお願い致します。「8時間働いたら帰る、暮らせるワークルールをつくろう。」の声を広げて、過労死・過労自死・長時間労働をなくしましょう。

井上伸

毎日1人以上の命奪う過労死の発生源となる経団連、過労死ライン上回る経団連会長・副会長企業94%

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 前回、「政府案「残業月100時間」「2カ月平均80時間」は過労死を政府が容認するもの」の中で指摘したように、「政府案」はとんでもないものです。そして、この「政府案」を議論している政府の「働き方改革実現会議」のメンバーの中には、榊原定征経団連会長も入っています。そこで、「働き方改革実現」の手本に、経団連会長・副会長企業が実際問題としてなるのかどうか? そもそも残業時間の上限はどうなっているのかを見てみたいと思います。

 下の表は、2008年が「NPO法人株主オンブズマン」の調査によるもので、2017年は「しんぶん赤旗」編集局が労働局に情報開示請求をして調査したものです。

 

 上の表にあるように、2008年は16社中13社が過労死ライン超で、経団連会長・副会長企業の81%が過労死を容認していました。そして、現在の2017年は17社中16社と94%と増大しています。平均の1年間の残業時間上限も692時間から777時間と85時間も増えているのです。(※過労死の労災認定基準は、脳・心臓疾患が発症する前の1カ月間に月100時間超、または2カ月から6カ月間に月80時間超の残業です)

 榊原経団連会長は、電通の過労自死事件を受けて、「過労死は絶対にあってはならないことであり、経営トップが先頭に立って、管理職も含めた社員の過重労働防止対策に取り組まなければなりません。」としています。その言葉が本当であるのなら、真っ先に、東レの取締役社長・取締役会長として「経営トップが先頭に立って」、東レの月100時間の過労死ライン超をなくし、「働き方改革実現」の手本を示すべきです。

 ところが、経団連は1月17日に発表した「経営労働政策特別委員会報告」(2017年度経労委報告)で、残業代ゼロで働かせ放題、過労死しても自己責任となる「労働基準法改正案の早期成立を強く求めたい。」(48ページ)と明記し、加えて、「業務上必要な繁忙期」の長時間労働の容認を求め(49ページ)、「終業時間と翌日の始業時間との間、あるいは始業から24時間以内に一定の休息時間を置くインターバル規制」は「わが国での義務化は現実的でない。」として反対しています(49ページ)。

 以上のように、経団連会長・副会長企業の94%が過労死ライン超という実態と合わせて、経団連の主張も踏まえると、明らかに経団連が日本の過労死・長時間労働の発生源であることがわかります。

 下のグラフは、厚生労働省の「過労死等の労災補償状況」から死亡に至った労災請求件数の年度推移を見たものです。
 

 上のグラフの数字を合計すると、2006~2015年度の10年間で、過労死は2,839人、過労自殺(過労自死)は1,776人、計4,615人が仕事によって命が奪われてしまっているのです。そして、直近の2015年度の482人というのは、366で割ると1.3ですから、日本では毎日1.3人が過労死・過労自殺(過労自死)によって命を奪われ続けているのが現状なのです。

 毎日1人以上の命を奪う過労死をなくすために、「8時間働いたら帰る、暮らせるワークルールをつくろう。」の声を大きくする必要があります。いま「わたしの仕事8時間プロジェクト」ネット署名「8時間働いたら帰る、暮らせるワークルールをつくろう。」を集めていますので、ぜひご協力をお願い致します。

井上伸

森友学園8億円ダンピングの口利き政治家は誰なのか?――国の行政執行ゆがめる5割超は国会議員

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森友学園の問題は、渡辺輝人弁護士が「国有地売却問題の三角すい-今週の注目点はここ」の中で指摘しているように、「大阪府-森友学園ー近畿財務局の三角関係は従前から浮かび上がっていましたが、ここへ来て、それらを統合する頂点としての安倍夫妻がいなかったのか、一層、詳細な説明が求められる事態になったと言えます。」

 

そして、昨夜、自民党の鴻池祥肇参院議員が以下の記者会見を行いました。

 

森友学園から働きかけ、自民・鴻池氏は「拒否」
TBSニュース
2017年3月2日


国が大阪府の学校法人「森友学園」に国有地を格安で売却したのではないかという問題で、自民党の鴻池参院議員は、理事長から働きかけがあったことを認めたうえで、拒否したことを明らかにしました。


1日の国会では共産党の小池議員が「森友学園」の籠池理事長と自民党議員の事務所の面談記録を入手したとして、土地の評価額の引き下げに関する働きかけがあったのではないかと追及しました。
 

これを受けて1日夜、鴻池参院議員が記者会見しました。
 

「お願いの議があるようなふうなことをチラッと聞いた。同時に紙に入ったものをこれでお願いしますと。一瞬で金だと分かりましたよ。だからそれをとって『無礼者』と言ったんだ。『帰れ』と。私は委員会室に戻りました」(自民党 鴻池祥肇参院議員)
 

鴻池氏によると、3年前の4月に理事長夫妻が事務所を訪れ、紙封筒を手渡したうえで働きかけがあったということで、鴻池氏は直ちに封筒を突き返し、拒否したということです。
 

また、鴻池氏は、学園から2年間に総額20万円の政治献金を受けていたということで、返金すると述べました。(02日01:01)

 

鴻池議員は森友学園からの「働きかけ」を拒否し行政への「働きかけ」もしていないと言っているようですが、どう考えても政治家からの行政への「働きかけ」なしに今回の事態は生まれようがありません。行政の現場で実際に働く公務員は憲法15条で「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明記されているのですから。

 

しかし現実は違憲状態が横行していることは、私たち国公労連が2002年に現場の国家公務員労働者に実施した「政治家の働きかけ」「政治家の口利き」問題のアンケート(下記参照)でも明らかです。

 

さらに、今は2014年5月30日に設置された内閣人事局によって、国家公務員のキャリア官僚は人事も首相官邸にコントロールされ支配されていますから、「政治家と霞が関の闇」「政官関係の闇」は当時よりいっそう深刻で腐敗したものとなっていることは容易に想像がつきます。

 

それでは参考までにもう15年前と古いアンケートですが、紹介しておきます。

 

「政治家の働きかけに関する緊急アンケート」の結果を記者発表
2割の仲間が「働きかけあった」――行政ゆがめる実態明らかに

 

本日(2002年7月17日)、国公労連は、「政治家の働きかけに関する緊急アンケート」の集計結果を記者発表しました。厚生労働記者会で行われた記者発表には、NHKテレビなどマスコミ6社がつめかけました。以下、記者発表した内容です。

 

【アンケートの概要】
(1) 実施時期 2002年5月13日~6月3日の3週間
(2) 調査の対象 各府省の実施部門に働く国公労連の組合員
(3) 調査の方法 全司法(裁判所の組合)及びオブザーバー加盟の単組を除く17単組について、中央本部を通じてアンケート用紙を配布(10,000枚)し、各単組の組織人員の5%を集約目標(5,000名)に無記名での回答を求めた。
(4) 集約状況  17単組・3,642名(対象組合員数の3.7%)から回収、集約した。

 

【アンケート実施の目的】

 

(1) 2002年1月、鈴木宗男衆議院議員が、北方支援事業にかかわって、外務省への口利き問題(いわゆる「ムネオ疑惑」)が国会で取りあげられた。その後、同議員が、外務省の施策の決定に深く関与していたことを伺わせる事実が次々に明らかになり、「政治家と官僚の関係」が改めて問われる状況となった。
同時期に、国会議員の秘書が、公共事業の執行にかかわる収賄容疑で逮捕されるという事件も表面化した。

 

(2) 国公労連は、従来から、そのような状況を「政官財」ゆ着の問題ととらえ、官僚の「天下り」禁止や、職員の「内部告発権」の保障などを求めてきた。
今回のアンケート調査は、改めて「政と官」の関係が問題となっている中、行政第一線の執行部門に政治家がどの程度介入しているのかを一定明らかにするとともに、その是正方策の一つとして、各方面での検討が進んでいる「内部告発権」についての国家公務員労働者の意識などを把握するために実施した。

 

【アンケート結果の概要】

 

(1) 政治家からの働きかけがあったと回答したのは2割

 

組合員が実際にかかわった過去3年間の業務の中で、「政治家(国会議員や地方議会議員)からの働きかけ(特定の業者・個人にかかわる口利きや業務執行への介入)を受けたと感じた経験」を尋ねた結果は、20.4%が「あった(経験あり)」と回答した。

 

 

(2) 「(働きかけが)あった」と回答した者を対象に、頻度などを尋ねた結果

 

1 3分の1が、年に複数回の「働きかけ」を受けたと回答

 

 「働きかけの頻度」では、「年に複数回の働きかけがあった」との回答が3分の1(33.4%)となっている。これに「年1回程度」(34.9%)を加えると、年に1回以上の働きかけを7割弱(68.3%)が経験している。

 

2 上司を通じた「働きかけ」が5割

 

 「働きかけの形態」は、「(政治家から)直接受けた」が33.3%、「上司等の言動から感じた」が24.8%、「上司が明言して指示を受けた」が23.7%という順であった。6割近くが「直接」もしくは「上司の明言した指示」と回答し、直接的な働きかけ受けている。
また、上司が働きかけに関与していることが伺える「上司が明言して指示」、「上司等の言動から感じた」があわせて48.5%にものぼり、政治家の働きかけに対する行政側の組織的な対応も伺える。

 

 

3 働きかけは政治家の秘書からが5割強

 

 働きかけを行ったのは誰かでは、半数(52.0%)が政治家の秘書であると回答。政治家本人とするものも3分の1(34.2%)となっている。


 その政治家の「中味」は、国会議員(52.3%)、市町村議会議員(21.4%)、都道府県議員(18.2%)の順となっており、5%とわずかではあるが、知事、市区町村長などの自治体首長からも働きかけを受けたとしている。

 

4 政治家の介入は行政第一線の出先にまで及んでいる

 

 どのような機関で受けたかも尋ねているが、回答状況では、地方出先機関(48.1%)、管区機関(24.7%)、府県単位機関(15.8%)、本省庁(8.7%)の順となっており、個別の行政を最終的に執行する出先機関にも、相当数の働きかけが行われている。
 

 なお、今回の調査対象が必ずしも機関別の人員に比例したものとなっていないことなどから、この調査結果だけで出先機関ほど多いとは断言できない。

 

5 「働きかけ」は、許認可など行政権限の行使にかかわる事務分野で多い

 

 働きかけを受けた業務の内容では、許認可(23.3%)、審査・適用(13.7%)、補助金(12.0%)、行政処分(11.7%)、公共事業の執行(8.5%)の順となっている。補助金や公共事業の執行など、政治的な圧力を受けやすい業務を上回って、許認可など行政権限の執行そのものの業務への働きかけが上位にある点が注目される。

 

 

6 「働きかけ」は行政執行に影響している

 

 政治家の働きかけが行政執行にどのような影響を及ぼしたかでは、「影響はなかった」とするのは26.1%で、4分の3が何らかの影響があったと回答している。その内容は、「慎重に処理した」(35.9%)、「処理が早くなった」(18.2%)としているが、15.6%は「結果が変わった」と回答している。

 

 

(3) 約6割が、内部告発の「機関」や不利益取り扱い禁止などの制度保障が必要と回答

 

 不正を告発する「機関」の設置や告発したことによる不利益取り扱いを禁止する制度の必要性について、「(必要だと)思う」(58.8%)、「思わない」(10.6%)と、6割が制度化を求めている。なお、「わからない」として意見表明を行っていないものも4分の1強(27.6%)にのぼっている。

 

 

(4) 公務員倫理法の「効果」があったとするのは3分の1

 

 公務員倫理法の制定で、利害関係者などによる公務員への働きかけが「減った」とするのは3分の1の32.8%であり、「変わらない」、「ひどくなった」とする消極的な評価の17.8%を15.0ポイント上回っている。「わからない」として評価を行っていない回答が、34.0%と最も高くなっているものの、全体的にみて一定の「効果」が認識されている。

 

(5) 「自由記入」での特徴点

 

 1 本省など上部機関から、政治家の働きかけを受けた「指示」が行われることを指摘する記入があった。
 

 2 また、働きかけがあった場合、管理職を先頭にした組織的な対応が行われるか否かが、結果に反映するという記入もあった。
 

 3 働きかけの相手方、内容等を文書化し、情報公開の対象とすることを求める意見があった。
 

 4 公務員倫理法を積極的に評価する意見がある一方、OBや先輩とのつきあいがしづらくなったとの意見もあった。
 

 5 日本の風土として、政治家の働きかけはなくならない、とする意見もあった。
 

 6 直接、政治家が「窓口」を訪れ、行政処分の撤回を迫ったとする事例の記入もあった。
 

 7 行政サイド(特に、予算、法律を策定する分野の官僚)が政治家を「利用」する状況が、政治家の介入の温床だとする意見があった。

 

【アンケート結果をふまえて】
 

 今回のアンケート調査で、①行政執行にかかわって、「政治家からの働きかけ、介入があった」と2割が回答していること、②その介入も、「許認可」や「審査適用」、「行政処分」など行政権限の執行にも相当数あること、③政治家の介入で「結果が変わった」と思われるものが一定数あること、などの点が明らかになった。
 

 そのことは、現在の法制度だけでは、行政執行の公正・中立性を確保しきれないことを示しており、何らかの新たな規制策が求められているものと考える。
国公労連は、今回のアンケート結果もふまえ、次の点での制度検討などを関係当局に求めたいと考える。

 

(1) 行政の執行分野への政治家の介入を早急に規制すること

 

 当面、行政執行分野への政治家(大臣など行政内部にいる政治家を除く)と公務員との接触を禁止するルールの確立が急務だと考える。
 

 また、政治家(秘書を含む)が、直接、本省以外の機関に「働きかけ」を行うことを禁止し、対応は本省に一本化して、かつ、働きかけの相手方、内容、及びそれへの対応結果は全て文書化することなど、行政サイドのルール化も早急に検討すべきである。

 

(2) 内部告発の権利を保障し擁護する制度を確立すること

 

 法や制度に反し、あるいは不当な圧力に屈した違法な行政執行を内部からチェックするための制度検討が必要である。
 

 今回のアンケート結果をふまえれば、①政治家の働きかけが上司を介在して行われる事例が相当数あること、②政策の企画立案部門での政治家と官僚の接触が煩雑に行われる状況で、「本省指示」を口実とした間接的な政治家の介入のおそれが払拭できないこと、などから、各府省での「告発受理機関」に加え、各府省から独立して告発をあつかう機関を設置すべきだと考える。

 

(3) 「政と官の関係」見直しの観点から、公務員制度改革大綱を抜本的に修正すること

 

 1 政府が、2001年12月25日に決定した「公務員制度改革大綱」は、①国家戦略スタッフ群の創設、②時々の政策課題ともリンクした組織目標と行動基準を前提とする評価制度の導入、③人事管理における内閣、各府省権限強化の一方での労働基本権の制約維持、④「天下り」自由化やⅠ種採用者の特権的人事の温存、などを内容としている。
これらの内容は、政治と行政のゆ着を強めるだけではなく、行政の内部からのチェック機能をさらに弱める危険性をもっている。

 

 2 そのことから、「政と官」の関係について、国民的な論議もふまえたルール化を検討し、その上で、公務員制度の改革を一から論議し直すことが必要だと考える。
そのことなしに、なし崩しで「大綱」の具体化を進めることは、将来に大きな禍根を残すことになりかねないと考える。

 

(井上伸)


各省大臣の秘書は1人で「私人」の安倍昭恵氏には秘書5人=国家公務員の私兵化がまねいた森友学園問題

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 内閣総理大臣の秘書は7人
 各省大臣の秘書は1人。
 国会議員の公設秘書は3人。
 内閣総理大臣が「私人」だと断言した内閣総理大臣夫人の秘書が5人。

 

 そして、産経ニュースの報道です。

 

公務員スタッフが首相夫人の安倍昭恵さん講演に同行 出張費は昭恵さんが負担「私的行為」
産経ニュース 2017.3.3 12:40

 

 学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地払い下げ問題をめぐり、政府は3日の衆院国土交通委員会で、安倍晋三首相の昭恵夫人が平成27年9月5日に法人が経営する塚本幼稚園で講演した際、公務員のスタッフが同行していた状況を明らかにした。民進党の玉木雄一郎氏に対する答弁。

 

 政府によると、出張費は昭恵夫人が負担。当日は土曜日で、政府側は同委で「勤務時間外で、私的な行為として同行していた」と答えた。

 

 玉木氏は「外形的には公務員を伴っているのは事実で、完全に私的な行為というのは難しい」と述べた。

 

 

 「私人」の内閣総理大臣夫人に、普段は「公人」の国家公務員が「勤務時間外で、私的な行為として同行していた」から「私的行為」だと政府側は言いたいわけですね。

 

 この政府側の言い分は相当無理がある上に、そもそも「私人」である内閣総理大臣夫人に「公人」の国家公務員が秘書として5人も付くこと自体が異常であることは、各省大臣の秘書が1人であることからも明らかです。

 

 そうした実態を『週刊新潮』が記事にしています。

 

「安倍昭恵」総理夫人を支える霞が関女性官僚5人衆の年収総計
『週刊新潮』2017年3月2日号

 

 「楽しんでやらなきゃ、何事も身につきはしません」。シェイクスピアの戯曲『じゃじゃ馬ならし』のセリフに倣ったのか、安倍晋三総理夫人の昭恵さん(53)は、梅雨空を気にする様子も見せずにファーストレディとして東奔西走中だ。そんな彼女を支えるのは、霞が関の女性官僚5人衆。休日も返上でアッキーに付き従う、彼女たちの年収総計とは。
 

 高いか安いか、総額2880万円也――。人事院勧告などの資料による、昭恵さんの専属スタッフ5人にかかる人件費である。
 

 「彼女たちは“総理夫人付き”と呼ばれ、官邸の5階に専用の部屋を持っています。主な業務は、昭恵さんのスケジュール管理や移動手段の確保、関係各所への事務連絡など。役割は国会議員の秘書とほとんど変わりませんが、ここまで多くの総理夫人専属スタッフが付いたのは過去にも例がありません」
 

 とは、さる官邸スタッフ。
 

 「全員が出向者で、内訳は経産省から2人、外務省からが3人です。普段は経産省の2人が昭恵さんと行動を共にしており、外務省の3人は昭恵さんが外国の要人を接待したり、海外を訪問する時に加わります」
 

 出向元が経産省と外務省に限られた理由は、
 

 「安倍総理が、自ら信頼する経産省出身の今井尚哉政務秘書官に職員の派遣を要請したこと。更に外務省職員が外交儀礼に通じている点が重視されました」(同)
 

 つまり、平均年収580万円の女性官僚たちは、昭恵さんの「お目付け役兼教育係」でもあるという。

 

 内閣総理大臣や各省大臣の秘書については、「内閣法」の第20条で秘書を置くことが規定され、秘書の人数は「政令で定める」とされています。しかし、「内閣総理大臣夫人に秘書を置く」などとはどこにも規定されていません。どうしてこんな超法規的なことがまかりとおっているのでしょうか?

 

 その大きな背景には、2014年5月30日に設置された内閣人事局によって、国家公務員のキャリア官僚の人事が首相官邸にコントロールされ支配されていることにあると思います。首相官邸がキャリア官僚の人事を支配するということは、公務の中立・公正性が侵害されて、憲法15条で「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とされているにもかかわらず、実際には国家公務員が政治家でもない「私人」=首相夫人のプライベートコマンド(私兵)化になるところまで来てしまったことを今回の森友学園事件は示しています。

そして、森友学園による国民主権と基本的人権を否定し子どもを虐待する教育への「奉仕者」に国家公務員がなってしまっているという「政治家のプライベートコマンド(私兵)化された国家公務員」の末路がどんなに酷いものであるかも具体的に明らかにしているのです。

 

▼関連


◆公務員はアメリカの戦争の奉仕者ではない、政権与党に民意が反映されない小選挙区制のもとでの「政治主導」と「戦争法」の二重の違憲状態
 

◆安倍昭恵名誉校長と安倍晋三首相「大変すばらしい森友学園の教育」=幼児虐待、トイレに自由に行かせず2歳でもオムツ禁止で大小排泄物を登園バッグで持ち帰らせる、日常的なヘイトスピーチ・恫喝
 

◆森友学園8億円ダンピングの口利き政治家は誰なのか?――国の行政執行ゆがめる5割超は国会議員
 

◆公務の中立・公正性の侵害、使用者権限の一方的強化に反対する――国家公務員法「改正」法案の閣議決定にあたって(国公労連書記長談話)


◆公務員は政治家の「私兵」か、それとも全体の奉仕者か:東海林智記者(毎日新聞)

 

(井上伸)

安倍政権は国家公務員を休日にタダ働きで東京から大阪まで連れ回すブラック政権

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NHKの報道です。

 

首相夫人の森友学園の講演 政府職員が私的な立場で同行
NHKニュース 3月3日 19時36分

 

 大阪・豊中市の国有地が鑑定価格より低く学校法人「森友学園」に売却されたことに関連して、安倍総理大臣の昭恵夫人がおととし9月に学校法人の施設で講演した際、夫人を補助している政府の職員が私的な立場で同行していたことがわかりました。

 

 これは3日の衆議院国土交通委員会で、内閣官房の土生栄二内閣審議官が明らかにしました。

 

 学校法人、森友学園が来月開校を計画している小学校の名誉校長を辞任した昭恵夫人はおととし9月、学校法人の施設で講演をしていました。

 

 昭恵夫人には政府の職員5人がついて、サポートしていますが、講演に職員は同行したのかという質問に、土生内閣審議官は「この日については、同行していた」と述べ、職員が同行していたことを明らかにしました。


 また、職員の同行は公費での出張ではなく、私的な立場だったとしています。

そのうえで、土生内閣審議官は「一般論として、政府の職員が昭恵夫人の依頼で夫人側の負担で国内で出張することはある。講演のあった日は土曜日で、勤務時間外の職員の私的活動だった」と述べました。

 

 

官房長官 “夫人の講演は私的 職員同行は連絡支援”

 

 菅官房長官は3日午後の記者会見で、安倍総理大臣の昭恵夫人が学校法人森友学園の施設で講演したのは、私的行為だという認識を強調するとともに、政府の職員が同行した目的は、連絡調整などを支援するためだと説明しました。

 

 菅官房長官は「夫人の講演は私的行為だ」と述べ、さらに「政府の職員が同行した目的は夫人の連絡調整等のサポートを行うため同行していたものであり、私的な活動そのものをサポートするためではなかった」と述べました。そのうえで「旅費は、夫人からの申し出により、夫人の私的経費から支出したものと報告を受けている」と述べました。

 

 また、菅官房長官は記者団が、私的行為を行う際に公用車を使用しているのかどうか質問したのに対し、「公用車の使用はしていない」と述べたほか、総理大臣の夫人には、平成18年10月から政府の職員が配置されていることを明らかにしました。

 

 

 

 

 2006年10月以降、総理大臣夫人には非常勤職員が1人配置されていたのが、安倍昭恵氏には5人の国家公務員キャリア官僚(常勤2人、非常勤3人)が配置されていて、週刊新潮によると人件費は総額2880万円。もしも安倍政権発足の2013年当初からこの運用が続いていたとすると、この4年間で1億1520万円の税金をムダ使いしたことになります。

 

 土生内閣審議官と菅官房長官の言ってることが矛盾し破綻していますが、結論的には霞が関の国家公務員キャリア官僚が、休日に東京から大阪まで安倍昭恵氏の「私的経費である旅費」をもらって「勤務時間外の私的活動」をしていただけだから問題はないのだと言いたいようです。

 

 

 ツイッターやフェイスブック上では、公設秘書の「内閣総理大臣夫人付」とする名刺画像(上の画像)のアップとともに、安倍昭恵氏の「私的活動」を昼夜休日問わず「勤務時間外の私的活動」でサポートする国家公務員の姿がアップされています。(※国家公務員個人の顔写真や個人名のアップはやめておきます)

 

 そして、この安倍昭恵氏のフェイスブック

 

 

 普通に考えて、大阪まで同行していた「内閣総理大臣夫人付」の国家公務員が写真を撮ったということでしょう。

 

 憲法15条には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明記されています。国民主権と基本的人権を否定する憲法違反の森友学園の教育方針を礼賛する「安倍昭恵氏の奉仕者」に国家公務員は憲法上なれないので、ここは「勤務時間外の私的活動」にしておこうと土生内閣審議官も菅官房長官も思ったのかもしれません。しかし、「勤務時間外の私的活動」とされ、タダ働きで東京から大阪まで同行しなければならない国家公務員の側から見れば、ブラック企業ならぬブラック政府であることは明らかです。また、もし何らかの事故に国家公務員が遭遇した場合、公務災害も適用されないブラックな事態にもなる問題でもあります。

 

 それから、国家公務員法の102条には次のようにあります。

 

(政治的行為の制限)
第102条  職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。

 その「人事院規則14-7(政治的行為)」は、国家公務員のあらゆる「政治的行為」を禁止しているという先進主要国では日本以外には存在しない非民主的な異常な規則で、国家公務員の市民的政治的自由、基本的人権を侵害するものです。これによって、国家公務員が休日に職場と関係のない場所で政党のビラを配布して逮捕され有罪になってしまっているのが日本なのですが、こんな非民主的な国は日本以外の先進主要国には存在しません

 

 現実の問題として、国家公務員が休日にビラを配布しただけで逮捕され有罪になる一方で、国家公務員が休日に国民主権と基本的人権を否定する憲法違反の講演サポートやそれをSNSで拡散するサポートなどを大々的にしていても内閣官房長官から擁護してもらえるという安倍政権のダブルスタンダードは、政権の意向に反する国家公務員は逮捕し有罪にする一方、政権の意向に沿うものは憲法違反だろうが国家公務員法違反だろうが擁護するという、政権の意向ですべてが左右される独裁国家の域にすでに入っているとしか思えません。(森友学園問題で、ほぼ同じ広さで隣り合っている土地を、国は豊中市に14億円で売り、森友学園には1億円、それも10年分割で国民の財産を売るという、財政法9条「適正な対価なくして譲渡してはならない」に違反していることをやってのけた上で隠蔽工作中の安倍政権を見ればどこの独裁政権かと思わない方がおかしいでしょう)

 

 それから、日本の公務員・公的部門職員の人件費は、「対GDP費」で見ても「財政支出に占める割合」で見ても世界最低です。そして下のグラフにあるように、財政赤字は世界最悪です。「税金をムダ使いしている公務員は減らせ」と日頃から怒っている方は、安倍昭恵氏の「私的活動」に公設秘書(国家公務員)5人で1億円以上もの税金をムダ使いするのはやめろ!と怒るべきでしょう。日頃の「公務員バッシング」の熱量を正しい方向で発揮して欲しいと思います。ただでさえ、日本の公務員数は世界最低で国民の基本的人権を守ることが非常に不十分な体制なのに、安倍昭恵氏の「私的活動」に人員をさいている場合ではないのです。

 

 

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(井上伸)

経団連の「月100時間残業OK」は「過労死OK」と同義語、労働者の命を奪い続けようとする経団連

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 佐々木亮弁護士が「残業時間の上限規制~問われる政府の<本気度>」の中で指摘しているように、労働時間の上限をめぐって危険極まりない事態を迎えようとしています。

 

 「月100時間残業OK」を押し通そうとしている経団連は「過労死OK」を押し通そうとしているのと同じです。

 

 下のグラフは、厚生労働省「過労死等の労災補償状況」から過労死(死亡ケースのみ)の労災支給決定件数を月の残業時間別に見たものです。

 

 

 そして、下の表は、その割合を見たものです。

 

 

 労働者の命を奪う過労死は、月80~100時間残業のところで最も多く起こっているのです。

 

 経団連の「月100時間残業OK」は「過労死OK」と同義語です。

 

 この5年間で286人もの労働者が「月100時間残業OK」で命を奪われているのです。

 

 経団連は、過労自死した電通社員、高橋まつりさんの母、幸美さんの訴えに真摯に応えるべきです。

 

電通過労自死事件、母親の願い「社員の命を犠牲にして優良企業と言えるのか」「過労死は起きるべくして起きている」「パワハラ許さず残業隠しが再び起こらないようインターバル制度の導入を」
 

 社員の命を犠牲にして業績を上げる企業が、日本の発展をリードする優良企業だと言えるでしょうか。


 命より大切な仕事はありません。娘の死は、パフォーマンスではありません。フィクションではありません。現実に起こったことです。
 

 娘が描いていたたくさんの夢も、娘の弾けるような笑顔も、永久に奪われてしまいました。
 

 結婚して子どもが産まれるはずだった未来は、失われてしまいました。
 

 私がどんなに訴えかけようとしても、大切な娘は二度と戻ってくることはありません。手遅れなのです。自分の命よりも大切な娘を突然なくしてしまった悲しみと絶望は、失った者にしかわかりません。
 

 だから、同じことが繰り返されるのです。
 

 今、この瞬間にも同じことが起きているかもしれません。
 

 娘のように苦しんでいる人がいるかもしれません。
 

 過労死過労自殺は、偶然起きるのではありません。
 

 いつ起きてもおかしくない状況で、起きるべくして起きているのです。
経営者は社員の命を授かっているのです。
 

 大切な人の命を預かっているという責任感を持って、本気で改革に取り組んでもらいたいです。

 

そして、小学1年生の願いに、経団連は真摯に応えるべきです。

 

ぼくの夢
 

大きくなったら
ぼくは博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシンをつくる
ぼくはタイムマシーンにのって
お父さんの死んでしまう
まえの日に行く
そして『仕事に行ったらあかん』て
いうんや
 

[※この詩は、父親を過労自殺でなくしたマーくん(当時小学校1年生)が書きました]
※「全国過労死を考える家族の会」のサイトより

 

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(井上伸)

榊原経団連会長「長時間労働なくすと競争力が低下する」→事実は長時間労働で国際競争力が激しく低下

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 2月14日に開催された「働き方改革実現会議」で、榊原定征経団連会長は残業時間の上限規制について留意する必要があるとして次のように述べています。

 

第1に、日本では、これまで社員の勤勉さと長時間労働が産業競争力を支えてきた側面があります。長時間労働を許容する雇用慣行は変えていくべきでありますけれども、余りに厳しい上限規制を設定しますと、企業の国際競争力を低下させる懸念があります。(政府の第7回「働き方改革実現会議」での榊原経団連会長の発言)

 

 「長時間労働が競争力を支えてきた」から上限規制を設定すると「企業の国際競争力を低下させる」というのは、本当でしょうか?

 

 下の表は内閣府のデータです。この表を分かりやすくしてみたものが下のグラフです。

 

 

 

 アベノミクスになって国際競争力はOECD35カ国中で20位にまで落ち込んでいるのです。日本は1996年には3位だったのですからこの落ち込みぶりは目を見張るものがあります。

 

 この国際競争力の落ち込みと、厚生労働省「過労死等の労災補償状況」の脳・心臓疾患(過労死等)と精神障害(過労自殺等)の労災請求件数(死亡事案含む全体の労災請求件数)の推移でグラフをつくってみたものが以下です。

 

 

 上のグラフにあるように、榊原経団連会長が言っているのとは全く逆で、長時間労働等による過労死・過労自殺が増えて国際競争力は低下しているのです。

 

 以前、「バカンスが30日間のフランス、夏休みが3日の日本」「フランスより2倍以上も働いている日本」のGDPがフランスより遥かに低い事実」という記事の中で紹介していますが、下のグラフにあるように日本は長時間労働が突出して多い国ですが、日本より労働時間が短い他の国はすべて日本より国際競争力は高い(一人当たりGDPは高い)のです。

 

 

 そして、下のグラフにあるように、「バカンスが30日間のフランス、夏休みが3日の日本」「フランスより2倍以上も働いている日本」のGDPがフランスより遥かに低い事実は、榊原経団連会長の「長時間労働が競争力を支えてきた」から上限規制を設定すると「企業の国際競争力を低下させる」という主張がデタラメであることを明確に示しているのです。

 

 

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(井上伸)

「女性のいない日」が日常の経団連が日本をダメにする=経団連役員女性ゼロで一人当りGDP主要国最低

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 昨日(3月8日)は、国際女性デーでした。世界各国で女性による様々なとりくみが行われています。時事通信がアメリカでのとりくみを報道しています。

 

全米で「女性のいない日」=トランプ政権に抗議
時事通信(2017/03/09-09:43)


 「国際女性デー」の8日、全米で「女性のいない日」と銘打ったストライキやデモが行われ、トランプ政権の女性政策に抗議した。女性らは、主催者が着用を呼び掛けた赤い服を着てデモに参加。教師が学校を休んだため、休校になる学校もあった。
 

 活動には、女性の役割の重要性を示し、差別や不平等の是正を訴える狙いがある。米国では2月に「移民のいない日」と題する同様のストやデモが行われ、従業員に移民の多い飲食店の休業が相次いだ。
 

 米メディアによると、首都ワシントンなど少なくとも9都市で抗議活動が展開され、数百人から約2000人が参加した。ニューヨークのデモに参加したテス・タパリアさん(20)はAFP通信に「自分の体のことは自分で決める」と語り、トランプ政権が人工妊娠中絶に否定的なことに反発した。
 

 トランプ氏は国際女性デーに合わせたツイッターへの投稿で、女性への「この上ない敬意」を表明。女性は社会経済に「不可欠」と強調した。

 

 日本でも「ウィメンズ・マーチ東京」がとりくまれ、朝日新聞は次のように報道しています。

 

「女が生きるのまじでつらい」国際女性デー、都内でデモ
朝日新聞 2017年3月8日21時05分


 「我慢するのはもう限界!」。国際女性デーの8日、女性が抱えるさまざまな「生きにくさ」を共有しようという「ウィメンズ・マーチ東京」が東京都内で開かれ、約300人の女性らが歩きながら、声をあげた。
 

 女性を蔑視するような発言をしたトランプ米大統領への抗議デモを組織した団体が、国際女性デーに合わせたデモを世界に呼びかけ、賛同した国内の複数の女性団体が企画した。
 

 「女が生きるのまじでつらい」「私のしんどさ声に出そう」――。「連帯」を示す赤い服やピンクの毛糸の帽子をかぶった女性らが、ラップ調のコールを繰り返しながら東京・渋谷を歩いた。「女=補助職じゃない!」「セクハラNO」「労働時間の短縮で男も育児に参加して」などのプラカードを掲げた人もいた。
 

 ウィメンズ・マーチ実行委員会の濱田すみれさん(32)は「生きにくさを感じてもやもやしている人が、国際女性デーに『生きにくい』ということだけでも声に出せる場にしたいと考えた」。仕事帰りに参加した国分寺市の団体職員、田中麻理さん(29)は「子どもをほしいと思っているが、保育園は足りず、長時間労働で男性の家事・育児参加が進まないので八方ふさがりだと感じる」と話した。
 

 この日、グーグルの検索のロゴが「国際女性デー仕様」に変更され、エジプト初の女性パイロットや韓国初の女性弁護士など、様々な女性をスライドショー形式で紹介するデザインになった。

 

 アメリカでは「女性のいない日」としてとりくまれたわけですが、日本には「女性のいない日」でも全く影響を受けないところがあります。それは経団連です。

 

 

 上の写真は経団連のサイトにある経団連の会長・副会長のページをキャプチャしたものですが、17人中一人も女性はいません。さらに広げて経団連の理事・監事を見ても、25人中一人も女性はいないのです。「ウィメンズ・マーチ東京」での「労働時間の短縮で男も育児に参加して」「長時間労働で男性の家事・育児参加が進まないので八方ふさがりだ」という声も聴かず、「月100時間残業OK」「過労死OK」を押し通そうとしてるのは、「女性のいない日」が日常の経団連にとっては通常運転なのでしょう。

 

 日本では経団連だけが「女性のいない日」が日常というわけではありません。下のグラフにあるように、企業の女性役員の割合は主要国で断トツで最下位です。わずか3%という数字は、アイスランド、ノルウェー、フランスの10分の1以下という異常に低い数字です。そして、日本は一人当たりのGDPも低いのです。

 

 

 下のグラフは、男性の賃金を100とした場合の女性の賃金を見たものです。日本は女性賃金も主要国で最も低く、そして一人当たりのGDPも低いのです。

 

 

 経団連役員【女性ゼロ】→企業役員【女性わずか3%】→女性の賃金【主要国最低】→一人当たりGDP【主要国最低】というのが日本の循環になっています。

 

 そして、以前紹介していますが、「家事労働ハラスメントで世界一短い睡眠の日本女性、フランスの2倍超える世界一長時間労働の日本男性」「子ども持つ女性に世界最悪の賃金差別=男性のわずか39%、OECD30カ国の女性平均賃金の半分しかない日本、「妻付き男性モデル」と「養われる妻モデル」の異常な2極化」という日本の酷い状況を、これからも継続させようとしているのが「月100時間残業OK」「過労死OK」を押し通そうとしている経団連です。「女性のいない日」が日常の経団連にとっては「家事労働ハラスメント」が日常というわけです。

 

 いま経団連が「月100時間残業OK」「過労死OK」と言っているのは、今後も「妻付き男性モデル」には過労死を、「養われる妻モデル」には低賃金・低処遇・家事労働ハラスメントを、今後もずっと続けていくという宣言です。そして、「女性のいない日」が日常の経団連にこのまままかせておくと日本経済そのものも沈没していくことは上記で紹介した国際比較からも明らかだと思います。

 

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(井上伸)

#100時間残業OKは5年で500人の命奪う #経団連は命奪うな

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 政府が導入を検討する残業時間の上限規制をめぐる経団連と連合の交渉が、週明け(3月13日)にも合意する見通しとなっています。その予想される内容は、100時間残業OKにして上限規制の導入から5年後に見直す規定を盛り込むというもの。ようは100時間残業OKが最低でも5年続くということです。

 

 下のグラフは、厚生労働省「過労死等の労災補償状況」から月100時間残業未満の過労死・過労自殺の支給決定件数(死亡件数のみ)です。(※厚労省サイトで残業時間ごとの死亡件数は2006年度以前は公表されていません)

 

 

 上のグラフを見てわかる通り、直近の5年間(2011~2015年度)で、過労死310人、過労自殺166人、合計476人の命が奪われています。過労死・過労自殺が2014年度のように1年で100人を超えていることや、今回の100時間残業OKが「時間短縮の流れを逆行させる」(川人博弁護士の指摘※後述)ことなどから考えると、もし100時間残業OKが今後も5年続くようなことがあると500人近くの労働者の命が奪われてしまうことは確実でしょう。経団連が500人もの労働者の命を奪うことになる流れをつくろうとしているのです。

 

 国会では、3月8日に衆議院厚生労働委員会で参考人質疑が行われました。過労自殺した電通の高橋まつりさんの遺族の代理人も務める川人博弁護士の意見陳述から上限規制の問題にかかわる部分を紹介します。(以下、文責=井上伸

 

 長時間労働をなくすためには、労働時間の絶対的な規制が不可欠です。時間外労働の上限規制の法制化の議論の中で、特別条項で1カ月100時間という案を聞いたときに、私はわが耳を疑いました。全く信じられない数字が出てきたということです。なぜなら、そもそも、もう今から15年以上前の2001年に、厚生労働省は1カ月間に100時間の時間外労働があれば過労死ラインとして労災の適用になることを明確に医学的な根拠を含めて出したわけです。

 

 さらに、今議論されている中には、2カ月間の平均で80時間が上限ということも出されていますが、平均80時間というのも、厚生労働省が過労死のラインとして設定している数字であるわけです。

 

 繁忙期には長時間労働もやむを得ない会社や業界もあるじゃないかという意見があります。しかし、繁忙期にある程度やむを得ないからといって、なぜ100時間や80時間というレベルになるのか、そのような具体的な説明は全くなされていません。そのような立法事実は提起されていません。月に100間もの残業をしなければ会社が倒産してしまうということなんでしょうか。そのような会社が本当にあるのか。さらに、仮にあったとしても、人命よりも会社の存続を優先させていいのか。私は、繁忙期の問題がテーマになる企業においては、経営者の方々に、ぜひ年間を通じた経営努力で改善を図っていただきたいと考えます。

 

 また、今は青天井だから、全く規制がないよりも100時間や80時間という規制でもあった方がよいではないか、つまり、よりましの議論が出ています。

 

 高橋まつりさんの死亡の労災認定が明らかになって以降、昨年の秋以降、多くの企業で現行の36協定を各社が見直し、特別条項を使っても月80時間を超えないようにという流れが生まれてきています。電通では、遺族との合意文書の中で、特別条項を適用しても月の法定外労働時間は75時間以内にする、そのような業務命令をするということをはっきりと約束しています。

 

 このように、現に今職場では、100時間や80時間よりも少ない数字の特別条項で動いているわけです。ところが、100時間でもいいということが通れば、それによって状況がもとどおりに戻ってしまう。よりましな基準ではなく、むしろ、今の時間短縮の流れが発生しているにもかかわらず、その時間短縮の流れを逆流させる、それが100時間、80時間をいいとするものであることを強調したいと思います。

 

 100時間で1カ月ぐらい働いても健康は大丈夫じゃないかという意見もあります。しかし繁忙期に100時間というのは、いわゆるだらだら残業などではありません。会議中に眠ったり、あるいはぶらぶらしたり、そんなようなことを行っている労働者はいないわけです。労働密度も当然濃い。さらに、IT化によって労働密度はますます濃くなっている。そういう中での80時間、100時間ですから、当然のことながら、人体に対する極めて深刻な影響も出るわけです。

 

 1カ月間辛抱したらいいじゃないかという意見がありますが、うつ病は短期間に発生します。厚生労働省の委託研究でも、月100時間の残業があれば、うつ病が急速に発症し、それが死に至る危険がある、と具体的に提起されているわけです。

 

 これらの点を考え、上限規制は、過労死ラインと言われる80時間や100時間というものでない、もっと低いラインの上限規制を実現するようにしていただきたい、そのことを強く訴えたいと思います。(川人博弁護士談)

 

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(井上伸)

#100時間残業OKは過労死合法化 命奪う法改悪やめよ|全国過労死を考える家族の会・寺西笑子さん

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 3月8日の衆議院厚生労働委員会での「全国過労死を考える家族の会」の寺西笑子さんの意見陳述の一部を紹介します。(文責=井上伸)

 

 過労死をなくすには、その温床になっている長時間労働を法的に規制することが急務です。ところが、政府事務局案に年720時間、さらに繁忙期は単月で100間、複数月で月80時間という過労死ラインが書き込まれるのではないかと予想され、私たちは危機感を募らせています。万が一、予想される政府の事務局案が法律になると、1日の規制も1週間の規制もないために、毎日5時間残業や10時間残業が続いても違法ではないという恐ろしいことになります。

 

 その上、政府は、長時間労働を助長する高度プロフェッショナル制度の創設と企画業務型裁量労働制の拡大をセットにして、働き方改革を押し通そうとしています。

 

 私たちは、過労死防止を願う立場から、単月100時間、年720時間及び高度プロフェッショナル制度の創設と企画業務型裁量労働制の拡大は過労死を生み出す長時間労働を許容することになりますので反対するものです。特例を認めない残業の、まともな法的上限規制に踏み出すことを強く求めます。

 

 具体的な事例に即して意見を述べさせていただきます。

 

 家族の会の会員Aさんの夫は、40歳で過労死されました。仕事は外回りの営業職でした。早朝勤務と、お客に合わせて夜の商談や休日出勤をされていました。亡くなる前の6カ月間は月平均80時間以上でしたが、会社が労働時間管理をしていなかったこと、就業規則に休憩2時間と明記されていたことで、実際に働いた時間が認められず、業務外判断になりました。奥さんは、育ち盛りのお子さんを3人抱え、夫にかわって大黒柱になり、生計を立てながら、諦めることなく、夫の手帳を頼りに取引先や会社関係者など十数人の人と会って労働時間の事実を積み上げ、苦労して月平均80時間の残業を立証し、何年もかかって労災認定されました。

 2人目、Bさんの夫は、37歳でお子さん2人を残し、過労死されました。仕事は組み立て工場の変則勤務をされていたため、生活のリズムが大きく崩れたのが原因です。実際の労働時間が認められず、行政裁判をされ、高等裁判所にて月平均85時間の残業がやっと認められ、労災認定されました。インターバルの制度を導入する必要があることがわかります。

 3人目、Cさんの息子さんは、27歳の若さで過労死されました。入社2年目から専門業務型裁量労働制の適用対象者になりました。規定で22時以降の残業は許可が要ることで、息子さんが自主申告すると上司に殴られたそうです。その後、帰ったことにして仕事をしていたとおっしゃっています。サービス残業をしないと仕事が回らない、毎日深夜の帰宅とのメールがありました。亡くなる前、繁忙期100時間超え、複数月80時間超えの勤務があり、御両親が原告として今係争中です。

 

 このように、使用者が正しい労働時間を適正に把握していないため、過労死なのになかなか認定されない実態があります。また、これはあくまで認定された労働時間であります。実際には、これをはるかに超える実質的な拘束時間があったものと推察されます。

 

 体力のある20代、30代、40代の男性が単月100時間あるいは月平均80時間の残業をすると過労死するという現実を認識していただきたいのです。

 

 月80時間の残業は、週20時間、1日4時間の残業になり、それプラス所定労働時間と休息時間を入れると、少なくとも1日13時間以上拘束されます。月100時間なら、週25時間、1日5時間の残業、1日14時間以上も拘束され、通勤時間と生活時間を入れると睡眠時間はごくわずかになり、いつ倒れても不思議ではありません。月80時間、100時間という過労死ラインで働くと命が奪われかねないということも御理解ください。

 

 私ごとですが、夫は21年前に過労自死しました。飲食店の店長だった夫は、サポート体制がない中、達成困難なノルマを課せられ、月100時間超えの残業を強いられました。必死の努力で一定の成果を上げましたが、会社が命令した成果に届かなかったため、過度の叱責を受け、人格否定され、身も心も疲労こんぱいになり、うつ病を発症して飛びおり自殺を図りました。

 

 裁判でわかったことは、会社に義務づけられている健康診断は一度も実施せず、36協定を結ばず長時間労働させ、夫は、仕事の裁量もなく、固定残業代で長時間働かせ放題の名ばかり管理職だったということが明らかになりました。会社は、目先の利益を追求し、守らなければならない法律を全く守らない会社でした。

 

 夫は、会社利益のために、睡眠時間と家族と過ごす時間、自分の自由な時間を犠牲にして会社に尽くしました。その見返りが過労自死だったのです。夫の無念を思うと悔しくてなりません。

 

 何とか過労死を減らしたいのですが、しかしながら、過労死は今もなおふえ続けており、相談者が絶えることはありません。

 

 昨年11月、全国過労死を考える家族の会の労災認定を求める要請行動は、18名が個別要請しました。その中で、20代、30代、40代前半の被災者が18人中16名おられました。特に深刻なのは若者の自死が多いことです。

 

 20代の男性は、入社して数カ月で自死されました。30代の男性は、企業の合併などの転籍後、数カ月で自死されました。その原因と背景に長時間労働と上司のパワハラがありました。日本の未来を担う若者を使い潰すようでは、日本の未来をなくします。

 

 労災申請しても遺族が立証するには限界があるため、こうした高い壁が立ちはだかり、泣き寝入りする遺族がほとんどで、労災申請される御遺族は過労死全体の氷山の一角です。

 

 私たちは、これ以上過労死を生み出さないでほしいと願い、2014年に私はこの衆議院厚生労働委員会で意見陳述し、過労死防止法を成立させていただきました。まさか3年後に、過労死ゼロどころか、過労死を助長する月100間残業合法化の法改正や、労働時間規制を緩和する高度プロフェッショナル制度や、裁量労働制拡大の法改正が国会に提出されているのは理解に苦しみます。向かう方向が逆です。何のための過労死防止法だったのでしょうか。過労死ラインの残業時間の上限が法制化されたら一歩前進なんて、私は全く思っていません。いま一度、全会一致で成立させていただいた過労死防止法の原点に戻っていただきたい。過労死防止法を踏まえれば、月100時間の過労死ラインまで残業を合法化するのは到底あり得ません。上限はできるだけ低くしていただきたいです。

 

 命より大切な仕事はありません。過労死防止法は、全国の過労死遺族の涙と汗の結晶です。私たちは、これからも過労死ゼロを目指して努力していきます。

 

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(井上伸)


安倍首相絶賛の月100時間未満では電通過労自死事件なくせない

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安倍首相と菅官房長官の言葉です。

 

 本日、連合、そして経団連の双方が、時間外労働の上限規制に関して合意をいたしました。労働基準法70年の中で歴史的な大改革だと思います。
3月13日 神津連合会長及び榊原経団連会長による訪問、首相官邸サイトより

 

 菅義偉官房長官は14日午前の記者会見で、労使が残業時間の上限規制について合意したことを受け、「極めて画期的で、労働基準法70年の中で歴史的な大改革だ」と評価した。
菅官房長官、残業規制は「歴史的改革」 時事通信 3/14(火) 11:06配信

 

 これに対して、電通の新入社員で過労自殺した高橋まつりさんの母、幸美さんは次のようにコメントしています。

 

 月100時間残業を認めることに、強く反対します
 

 政府の働き方改革として、一か月100時間、2か月平均80時間残業を上限とする案が出されていますが、私は、過労死遺族の一人として強く反対します。
 

 このような長時間労働は健康にきわめて有害なことを、政府や厚生労働省も知っているにもかかわらず、なぜ、法律で認めようとするのでしょうか。全く納得できません。
 

 月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。長時間働くと、疲れて能率も悪くなり、健康をそこない、ついには命まで奪われるのです。
 

 人間のいのちと健康にかかわるルールに、このような特例が認められていいはずがありません。
 

 繁忙期であれば、命を落としてもよいのでしょうか。
 

 命を落としたら、お金を出せばよいとでもいうのでしょうか。
 

 娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。死んでからでは取り返しがつかないのです。
 

 どうか、よろしくお願いいたします。
 

月100時間残業「強く反対」 まつりさん母がコメント 朝日新聞 2017年3月13日20時42分

 

 安倍首相と菅官房長官はそろって「労働基準法70年の中で歴史的な大改革だ」と大絶賛しているのに、過労死遺族は「強く反対」しています。あらためて3月8日に衆議院厚生労働委員会で行われた参考人質疑での川人博弁護士の意見陳述と質疑での意見を聴くと、安倍首相と菅官房長官の主張がいかにとんでもないものであるかがとてもよくわかりましたので、一部ですが以下紹介します。(文責と中見出し=井上伸

 

▼過労自殺した電通の高橋まつりさんの遺族の代理人も務める川人博弁護士の意見陳述と質疑での意見(3月8日 衆議院厚生労働委員会)

 

2つの問題(①非合法な長時間労働隠し②36協定など合法的手段)
に対策を打たなければ過労死はなくならない

 

 日本における長時間労働は、2つの方法、手段によって発生しています。1つは、非合法な労働時間隠しによってです。もう1つは、36協定などによる合法的な手段によってです。長時間労働を規制するためには、この2つの問題に対する対策が必要です。

 

 まず初めに、長時間労働の隠蔽といいますか、労働時間を隠すという問題です。

 

過労死事案で長時間労働は隠蔽されている
電通事件でも月30時間以上隠されていた

 

 ほとんどの過労死の事案において、実際の労働時間というのは、名目上の労働時間、会社が公認している労働時間と異なっています。

 

 高橋まつりさんの電通の事件に関して言えば、会社は、会社公認の残業時間としては1カ月70時間未満としていたわけです。しかしながら、実際には、労働基準監督署が認定した範囲でも、法定外の労働時間が100時間を超えていたということです。

 

 先日、ヤマト運輸が、全社的に、全国的に多くのサービス残業があったこと、不払い残業があったことを認めて、過去にさかのぼってそれを支払う、そういう方向を出しました。不払い残業があったということは、言い換えると、労働時間隠しが行われていたということでもあるわけです。

 

いま中間管理職が過労死の脅威にさらされている

 

 加えて強調しておきたい点は、現在、中間管理職の時間外労働がとても厳しくなっているという報告を受けています。つまり、昨年秋以降の電通事件の報道等によって、中間管理職には、早く新人を帰すように指導しなさい、こういうことが役員から指示がおりてくるわけです。

その結果、どうなっているかというと、若い1年目の人、2年目の人はとりあえず労働時間が減っているところもあるけれども、中間管理職、マネジャーのような立場の人たちの労働時間がとても増えているのです。

 

 なぜこういうことが起こるかというと、現在、中間管理職に関して、多くの会社が労働基準法の41条の管理監督者の規定を濫用して、誤って使って、残業時間を記録していないわけです。残業手当も支払っていないわけです。

 

 本来は、労基法41条の管理監督者規定というのは、ごく一部の上級管理職にだけ適用されるべきものです。判例上もそうなっています。それを課長、さらには課長補佐まで適用しているということがあります。

 

 このような労働時間管理放棄によって、現在は、新人のみならず、中間管理職も過労死の脅威にさらされている、このことを指摘しておきます。

 

労働基準監督官があまりにも少ない
労働基準監督官の大幅な増員で
実効ある監督行政にし長時間労働隠し根絶を

 

 今年の1月20日に厚労省が、使用者向けに、労働時間の把握のための新しいガイドラインを策定しました。このガイドラインに沿って監督行政をぜひ実行していただきたいのですが、私たちの現場の実感で言えば、あまりにも労働基準監督官の数が少ないということがあります。ぜひ、労働基準監督官の大幅な増員を含めて、監督行政を実効あるものにする、そして、労働時間の的確な把握を進めていただきたいと考えています。

 

 2番目の36協定など合法的な手段による長時間労働についてです。

 

 高橋まつりさんは一昨年の12月25日に亡くなりましたが、会社は、10月に徹夜を含む長時間労働で彼女が相当疲弊していたにもかかわらず、彼女の部署について、12月には、36協定の特別条項を適用して合法的な長時間労働の枠を広げるという措置をとっていました。

特別条項の問題とは別に、建設業や運輸業では、そもそも36協定の時間外労働に関する規定が全くありません。私は、石油プラント工業で亡くなった24歳の青年の事件や、つい最近では、下水道関連の公共事業に従事した建設業の方々の事件を担当しましたけれども、建設業において何らの36協定の上限規制がないというのが、いかに深刻な影響を与えているかということを、痛感しています。この点も、ぜひ、今回の法改正に向けての重要なテーマであるということを、改めて強調したいと思います。

 

長時間労働をなくすためには労働時間の絶対的な規制が不可欠

 

 長時間労働をなくすためには、労働時間の絶対的な規制が不可欠です。時間外労働の上限規制の法制化の議論の中で、特別条項で1カ月100時間という案を聞いたときに、私はわが耳を疑いました。全く信じられない数字が出てきたということです。なぜなら、そもそも、もう今から15年以上前の2001年に、厚生労働省は1カ月間に100時間の時間外労働があれば過労死ラインとして労災の適用になることを明確に医学的な根拠を含めて出したわけです。

さらに、今議論されている中には、2カ月間の平均で80時間が上限ということも出されていますが、平均80時間というのも、厚生労働省が過労死のラインとして設定している数字であるわけです。

 

繁忙期には長時間労働もやむを得ない?

 

 繁忙期には長時間労働もやむを得ない会社や業界もあるじゃないかという意見があります。しかし、繁忙期にある程度やむを得ないからといって、なぜ100時間や80時間というレベルになるのか、そのような具体的な説明は全くなされていません。そのような立法事実は提起されていません。月に100間もの残業をしなければ会社が倒産してしまうということなんでしょうか。そのような会社が本当にあるのか。さらに、仮にあったとしても、人命よりも会社の存続を優先させていいのか。私は、繁忙期の問題がテーマになる企業においては、経営者の方々に、ぜひ年間を通じた経営努力で改善を図っていただきたいと考えます。

 

全く規制がないよりも100時間という規制でもあった方がよい? よりまし?

 

 また、今は青天井だから、全く規制がないよりも100時間や80時間という規制でもあった方がよいではないか、つまり、よりましの議論が出ています。

高橋まつりさんの死亡の労災認定が明らかになって以降、昨年の秋以降、多くの企業で現行の36協定を各社が見直し、特別条項を使っても月80時間を超えないようにという流れが生まれてきています。電通では、遺族との合意文書の中で、特別条項を適用しても月の法定外労働時間は75時間以内にする、そのような業務命令をするということをはっきりと約束しています。

 

100時間残業OKは時間短縮の流れを逆流させる

 

 このように、現に今職場では、100時間や80時間よりも少ない数字の特別条項で動いているわけです。ところが、100時間でもいいということが通れば、それによって状況がもとどおりに戻ってしまう。よりましな基準ではなく、むしろ、今の時間短縮の流れが発生しているにもかかわらず、その時間短縮の流れを逆流させる、それが100時間、80時間をいいとするものであることを強調したいと思います。

 

 100時間で1カ月ぐらい働いても健康は大丈夫じゃないかという意見もあります。しかし繁忙期に100時間というのは、いわゆるだらだら残業などではありません。会議中に眠ったり、あるいはぶらぶらしたり、そんなようなことを行っている労働者はいないわけです。労働密度も当然濃い。さらに、IT化によって労働密度はますます濃くなっている。そういう中での80時間、100時間ですから、当然のことながら、人体に対する極めて深刻な影響も出るわけです。

 

繁忙期の残業100時間は死に至る

 

 1カ月間辛抱したらいいじゃないかという意見がありますが、うつ病は短期間に発生します。厚生労働省の委託研究でも、月100時間の残業があれば、うつ病が急速に発症し、それが死に至る危険がある、と具体的に提起されているわけです。

 

 これらの点を考え、上限規制は、過労死ラインと言われる80時間や100時間というものでない、もっと低いラインの上限規制を実現するようにしていただきたい、そのことを強く訴えたいと思います。

 

 高度プロフェッショナル制度の問題について、一言述べたいと思います。

 

 私が疑問なのは、高度プロフェッショナル制度と言いますが、果たして、労働時間規制も撤廃して長時間働いたから高度なプロの仕事ができるのかということです。

 

 人間の能力を発揮するために、適度な睡眠時間の確保や休日の確保は当然の前提条件じゃないでしょうか。どうも経営者の一部の方々は、目先の利益の確保を目指すあまり、正しい意味での労働能力の発揮、労働効率ということも忘れてしまって議論をしているのではないでしょうか。

 

 最後に、夜勤交代制労働者につきましては、夜勤交代それ自体が過重であるわけですから、上限規制自体、一般の労働者以上に残業の上限規制は厳しくなければならないと思います。

 

 この10年間で厚労省が労災として認定しただけでも、過労死は約2千人に達しております。過労死をなくすることは国の責務であると過労死防止法は宣言しました。どうか、国会、立法府におきましては、この異常な日本の職場を改革するために、長時間労働を解消し、過労死のない社会の実現のために知恵を絞っていただきたい。そして、知恵を絞っていただき、適切な法律を制定していただきたいと心より訴えます。

 

〈以下は質疑での川人博弁護士の主張〉

 

フランスでは今年の1月から業務上のメールを自宅で見なくてもよい権利=「ライト・ツー・ディスコネクト」の法案を施行

 

 ITが進むことによって、労働時間の管理などは大変把握しやすい状況になってきました。労務管理においては、例えば入退室管理の記録などが瞬時に出るようになる。そういう意味では、上司や人事関係者が従業員の労働時間の把握ができるようになった、こういう意味では、IT時代における、ある意味では労務管理を改善していく条件が生まれています。

 

 ただ、他方では、ITの時代において、特に自宅労働がより広まる、そしてそれによるストレスが解消しないという問題があります。フランスで今年の1月から、メールを見なくてもよい権利=「ライト・ツー・ディスコネクト」の法案がことしの1月から実施され、業務上のメールを自宅に帰って見る必要はない、こういうことを方向性として出しています。

 

 こういうことも含めて、どのようにIT時代における過重な労働を防ぐのか、こういったさまざまな工夫、努力も必要になってきているのです。

 

 交代制勤務における残業規制は一般の労働者以上に低いレベルにしなければならない

現在も医師の過労死の案件を多数担当しています。研修医の状況については、労働時間に関して言えば、残念ながらほとんど改善がない、そのような実感を持っています。

 

 関西医大の研修医の方の亡くなられたケースで、随分前に研修医の労働者性ということが明確にされ、そして労働時間管理の重要性が裁判所でも指摘されたわけですが、そしてさまざまなところで議論されているにもかかわらず、残念ながら研修医の長時間労働の実態は改善されていない。そして相当数の研修医の過労死が現に発生しているのです。

 

 特徴は、労働時間とあわせて、何らかの医療事故を発生したことによる精神的なストレスとが重なっています。

 

 ですので、ぜひ、日本の医療の将来を担う若い医師の勤務条件の改善をどうするかということについて、大いに今後とも知恵を絞り、御議論いただきたいと思っています。

 

 あわせて、看護師の方あるいは理学療法士の方、介護労働者の方等も含めて、夜勤、交代制勤務という観点からも非常に厳しい状況があります。

 

 80時間や100時間の過労死ラインというのは、通常、昼の労働者を念頭に置いたことであり、看護師の方は、80時間や100時間なんというレベルではなく、もっと低いレベルの時間外労働でも十分に過労死ラインと評価すべきです。そういう意味で、医療現場における夜勤、交代制勤務における労働時間規制の問題は、一般の労働者以上により低いレベルにとどめるようなさまざまな政策や法律を検討していただきたいと思います。

 

高度プロフェッショナル制度、裁量労働制は過労死を自己責任にするもの

 

 裁量労働制の問題も同様ですが、結局、高度プロフェッショナル制度の問題についても、本質的な問題として、その当該労働者の仕事の目標、いつまでにどのような成果を上げるのか、そういう目標の設定というのは会社、使用者が行うわけです。基本的な業務内容、それと業務目標、例えば納期であるとか、例えば特許出願を担当しているような人であれば、それはいつまでに出願できるようにとか、こういうことは基本的に会社、使用者が決めるわけです。

 

 ですから、本来的に、使用従属の関係、指揮命令の関係という本質的な問題は、高度プロフェッショナル制度においても裁量労働制においても同じなのです。この点において、ある一部分をとって自由裁量であるとかいう形で議論をすりかえています。

 

 大きな枠、目標設定は企業が行っている以上、自己責任で健康は守ることはできません。ですから、そういう意味での高度プロフェッショナル制度を含めた自己裁量というものに対する見方があまりにも肥大化し、実態以上に強調し過ぎている。もっと労働者性が貫徹されているという側面を見るべきなのです。

 

残業100時間上限では電通過労自死事件は繰り返される

 

 先日、高橋まつりさんのお母さんの幸美さんが安倍総理と面談したのですが、その席に私も立ち会いをいたしまして、お話を聞きました。そこにおいても、高橋まつりさんのお母さんは、本当に実効性のある労働時間規制を行っていただきたいということを強く話をされていました。

 

 高橋まつりさんの事件について言えば、労働基準監督署はこのような理由で労災と認定したわけです。亡くなる年の11月の初めにうつ病を発病している、したがって、その前の労働時間がどうだったかということが重要ということで、具体的には、うつ病を発病する前に105時間の時間外労働があったと労働基準監督署は認定して、そして、それより前の月は約50時間程度であったものであるから、それが倍の時間外労働になった、このことがうつ病発病の原因になって、その延長線の上で彼女がクリスマスに死亡した、このように労働基準監督署は認定しているわけです。それは専門家の医師などの議論も踏まえてそのように認定しているのです。

 

 したがって、1カ月であっても、100時間、105時間というのはおおむね100時間ですよ、そういう時間外労働があった場合には、それがうつ病を発病するだけの重大な負荷になり、それによって死亡するのだということは、労基署、つまり国自体が認定したことです。

 

 まつりさんの死を繰り返さないためにどうするかということで始まった議論において、1カ月100時間の時間外労働が許容されるということはあり得ないわけです。

 

 この問題は、私もまつりさんの遺族といろいろ話をしている中においても、ある意味では全く信じられない提案である、そのように御遺族も受けとめられているわけであります。それは多くの過労死の御遺族も同じだと思います。その点をまず指摘しておきたいと思います。

 

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(井上伸)

月100時間未満OKは政府が「殺人」を合法化するもの|過労死遺族が怒りの訴え

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 昨日(3月15日)、「過労死ラインの上限規制を許すな!~労働時間の上限規制を問う緊急院内集会」が開催されました。主催は、日本労働弁護団、過労死弁護団全国連絡会議、全国過労死を考える家族の会です。とりわけ全国過労死を考える家族の会のみなさんの怒りの訴えは涙なしには聴けませんでした。以下、主な発言の要旨を紹介します。(文責=井上伸

 

過労死ラインの上限規制は公序良俗違反、安全配慮義務違反
過労死を合法化し、政府自ら過労死を容認するもの
棗一郎日本労働弁護団幹事長

 

 3月13日、経団連と連合が合意しました。私たちは残業に上限規制を行うことに反対しているわけではありません。中身こそが問題だと言っているのです。今回の上限規制の中身は到底賛同できるものではありません。休日労働を含んで単月100時間未満、2カ月から6カ月の平均は80時間以内とすることは到底納得できません。これでは過労死を合法化し、政府自ら過労死を容認することに等しいものです。最近の労働裁判では、月80時間を超える残業について「公序良俗に反する」「労働者への配慮に欠ける」との判断が相次いでいます。今回の中身はまさに公序良俗違反です。労災認定基準を大幅に下回る上限規制をしなければ安全配慮義務違反です。

 

命奪う長時間労働を差し止めはしない、
企業は堂々と長時間労働を実現する、という今回の方向
長時間労働は経営にとっても大きなマイナス
経団連は日本経済の維持、健全な発展を阻害するのか
川人博弁護士

 

 今回の「100時間未満」は、公害裁判における“住民に補償はするが差し止めはしない”という日本の現状を想起させられます。

 

 たとえば基地の騒音被害で“住民に賠償はするが戦闘機の飛行を差し止めはしない”と同じです。「100時間未満」という労働で、その結果、病気になったり亡くなれば労災は適用しましょう。しかし、そのような労働は差し止めはしません、企業はやっていただいて結構です、というものです。つまり、これまでのさまざまな違法状況を放置したまま、賠償すればいいという考え方で長時間労働を堂々と職場で実現する。これが拡大する。補償すれば命は戻ってくるのか? 労災適用すれば亡くなった方の命は戻ってくるのか? そういう意味で、まったくもって納得できない今回の方向であるわけです。

 

 いまヨーロッパで注目を集めているオランダの若手研究者ブレグマン氏の書籍『Utopia for Realists』がベストセラーになっています。この書籍の中でブレグマン氏は「21世紀に1日3時間1週間15時間の労働を実現しよう」ということを書いています。そしてブレグマン氏は、これまでの歴史を見ても長時間労働が経営にとっても多くのマイナスをもたらしてきたことをさまざまな具体的なデータで実証しています。たとえば、アメリカの自動車会社において週40時間労働を週60時間労働にした結果、生産性が下がったということや、そもそも人間が創造性を発揮できるのは1日6時間労働までが限界であるという研究者の報告も紹介しています。

 

 残業100時間をあくまで主張している経団連のみなさんに申し上げたいのは、いったい日本でこれほどの長時間労働をさらに続けて日本経済は本当に維持されるのかどうか? 健全に発展するのかどうか? なぜ100時間でなければいけないのか? 上限規制が40時間、50時間でなぜいけないのか? この点についてはなんら具体的な反論も実証もされていません。むしろ長時間労働が経営にとってもマイナスとなるさまざまなデータが出されている。経営学の研究者から長時間労働がいかに経営にとってもマイナスかということが出されている。私たちは政府に対してはもとより、経営者のみなさんにこの長時間労働がもたらす悪弊について、話をし、説得をし、考え方をあらためるように強く訴えていきたいと思います。

 

健康でも月平均80時間の残業で過労死する
過労死を考える家族の会 Aさん

 

 タバコも吸わず、健康診断でもひっかかったこともない、40歳の夫が過労死で命を落としました。6カ月平均80時間の残業が認められ、労災認定されました。健康でも平均月80時間の残業で、人は死んでしまうのです。家族を亡くした遺族として、月100時間未満や平均80時間という合意は、到底許せません。人の命がかかっているのです。特例など認められません。「子どものために一生懸命に働かなくてはいけない」「子どもと一緒にいたい」と、いつも夫は言っていました。人が健康的に働くことができる社会にして欲しいのです。

 

「単月100時間未満」「2~6カ月平均80時間以内」は長時間労働促進
政府と経団連と連合は大切な家族を亡くし絶望のなか立ち上がった私たちの願いを無視するのか
全国過労死を考える家族の会 兵庫代表 西垣迪世さん

 

 今回の方向は本当にこの国の働き方を改革し、長時間労働をなくし、過労死ゼロを実現し、女性や若者、高齢者などの多様な人材が本当に活躍できる社会につながる規制になるのでしょうか? 私は断じてそう思いません。自分の命より大事なひとり息子をこの日本社会が生んだ長時間労働により過労死で亡くした遺族として、過労死ラインを合法化する労働基準法改正はとんでもないことだと言わざるをえません。

 

 息子は会社の記録によると、4月の残業は93時間、6月72時間、7月75時間でうつ病を発症し、27歳で過労死しました。実際には記録のない休憩時間も働いていたために4月の実労働の残業時間は124時間になり、とくに荷重であった6月後半から7月前半の変形1カ月をとれば、150時間を超える残業でした。

 

 1カ月100時間未満、2ないし6カ月80時間以内は、このように変形1カ月をとったり休憩時間を含む実労働時間をとればゆうに100時間を超える長時間労働になる恐れがあります。こうした過労死ラインを労基法に書き込んでは絶対にいけません。時間外労働の上限は月45時間を守るべきです。そうでなければ「長時間労働規制」ではなく「長時間労働促進」になります。

 

 また睡眠時間の保証は命の保証です。1日の上限またはインターバル規制をもうけるべきですし、時間外労働規制除外の業種をもうけるべきでもありません。どの業種の人の命も同様に尊いものです。私たち過労死遺族はこれ以上大切な家族を亡くし悲しむ遺族を出してはならないと絶望のなか必死の思いで立ち上がり、この国を健康的に働ける国にするために過労死防止法の制定を2014年の6月に実現しました。過労死防止啓発シンポを43都道府県でとりくむなどしてきました。私たちの願いを無視して、政府と経団連と連合は、過労死ラインを合法化するというのでしょうか? 働く人の命と健康を大事にする国に、企業に、かわるべきです。

 

今回の過労死合法化は殺人につながる
東九州過労死を考える家族の会 桐木弘子さん

 

 大手自動車会社の整備士だった23歳の息子は、「工場長、使えない人間で、すみませんでした」という遺書を残して自ら命を絶ちました。自分の命にかえても守りたいと思って必死に育てたわが子が、仕事が原因で自死するときの衝撃は想像を絶するものでした。最愛のわが子を救えなかった自責の念と絶望、喪失感など、とても言葉で言い表せない苦痛でした。

 

 子どもに先立たれた悲嘆が一番大きいと言われていますが、もっと苦しく辛かったのは息子本人です。死を決心したとき、どれだけ苦しんだのか。死を決行したときどれだけ痛かったのか。仕事から逃れる方法がそれしか思い浮かばなかった息子がかわいそうで、今でも胸が詰まります。

 

 残業上限を繁忙期に100時間未満まで認めるという恐ろしい法律が制定されようとしています。たとえ100時間未満と取り繕っても99時間と100時間の間にどれだけの違いがあるのでしょうか? この法案を通そうとしている人たちは、100時間の残業がどれだけ過酷なものか認識しているのでしょうか?

 

 過労自死は、仕事が原因でうつ病に罹患することによって死に至ります。過労死ラインを合法化し、死ぬかもしれないとわかっている労働時間を働かせたあげく、死なせることがあれば、まさに殺人であると私は考えます。

 

 過労死、過労自死はなくすことができるのです。死ぬほど、働かせなければいいのです。どうか、労働者が人間らしく幸せに暮らせるような労基法にして、私たち親子のような悲惨な目にあう家族をなくしてください。

 

人の命奪う働かせ方を公然と行う提案が堂々とされる異常な事態
過労死増大法では人間らしく働けない
大阪過労死を考える家族の会 代表 小池江利さん

 

 49歳の夫は脳動脈破裂によるくも膜下で過労死しました。特別養護老人ホームの管理室室長で、介護事業の拡大とあわせて、会計業務が増え、倒れました。過労死をなくすための法律、悲願の過労死防止法が成立したときに、みんなで喜びあいました。しかし、今回の合意は、人の命を奪うものです。堂々と提案される事態が不思議でなりません。この法律が成立すると、過労死ラインの働かせ方が、公然と行われることになります。残業の過少申告問題もあります。子どもたちは今は社会人になりました。子どもたちには充実した人生を過ごしてもらいたい。将来ある子どもたちが、このような過労死増大法のもとで、人間らしく働けるとは思えません。安心して、家族を仕事に送り出せる社会にしたい。

 

すべての国会議員が賛成した過労死防止法に照らして
まともな残業規制の実現を
全国過労死を考える家族の会 代表 寺西笑子さん

 

 遺族の切実な訴え、お聞きいただいたでしょうか。労働組合でも専門家でもない。大切な家族を過労死でなくした、二度とこのような苦しい思いをしてほしくない。まじめに働いた人が、仕事で命を落とすことなどない社会にしたい。そう思って、私たちは活動をしてきました。なぜ、働き方改革実現会議に、私たちが参加できないのでしょうか? 長時間労働をなくせば、過労死はなくせるのです。電通過労死遺族の高橋幸美さんのコメントを共有したいと思います。自分の命にかえてでも守りたかった家族をなくした。この状況が、4半世紀活動してきましたが、いっこうにかわらない。過労死を防ぐ法律をつくろうと、弁護士ともに、2014年に過労死防止対策推進法が実現しました。ところが、この法律の3年後に、このような改悪をしようとは。なんのための過労死防止法だったのでしょうか? 過労死防止法の方が先の法律です。しかもすべての国会議員が賛成してできた法律です。月100時間残業などと言っている人も、過労死防止法に賛成しているのですから、労基法の改悪は絶対にさせない。まともな規制を実現するために、たたかいましょう。

 

▼エキタスが経団連前緊急抗議行動にとりくみます

 

★ネット署名にご協力ください★
8時間働いたら帰る、暮らせるワークルールをつくろう。

(井上伸)

森友事件の影の主役は内閣人事局=霞が関キャリア官僚は「安倍政権の奉仕者」、忖度でなく構造上の問題

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▲上記の小沢一郎氏のツイートの意味するところが、非常によく分かるインタビュー記事を私、まとめたことがありますので、以下紹介します。(が、2014年10月にインタビューしたもので一部抜粋になります)

 

公務員の役割と権利を考える
晴山一穂 専修大学教授インタビュー

 

 重要な憲法の視点から考える公務員の役割
 国民主権など憲法3原則ふまえ「全体の奉仕者」へ

 

 ――きょうは晴山先生に「公務労働者の役割と権利」についてお話をうかがいます。最初に公務員の役割についてお聞かせください。(聞き手=井上伸

 

 公務員の役割を考える場合、常に2つの基本的な視点を持つことが重要です。1つは、日本国憲法の視点で、もう1つは、公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割という視点です。

 

 まず、憲法の視点から公務員の役割を考えることの重要性についてです。日本国憲法が直接公務員のことを規定した条文としては憲法15条の1項と2項があります。ただし、15条の意味を考えるにあたっては、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の保障、そして平和主義という憲法3原則を踏まえた上で、行政の担い手である公務員の位置づけについて、15条で規定していると捉えることが大事になります。国民主権など憲法3原則を除いた形で15条だけ単独で取り出して公務員の役割を考えるということは適切ではないわけです。

 

 この点を踏まえた上で憲法15条をみていきましょう。15条1項では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とし、2項では「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。この1項と2項はいずれも憲法の基本原理である国民主権の表れなのですが、この規定の意味をより深く知るためには、戦前の官吏制度を振り返ってみる必要があります。

 

 「一部の奉仕者」だった戦前の公務員

 

 戦前の官吏(現在の国家公務員の中核部分に当たる人)は、大日本帝国憲法(明治憲法)のもとで、「天皇の官吏」として天皇に身分的に隷従し、天皇とその政府にだけ奉仕する存在でした。国民から見れば、絶対的な主権者であり統治権を総攬する天皇に奉仕し、国民を支配する特権階級だったわけです。そして、官吏の任命は、議会も関与できない天皇だけの権限であるといういわゆる「任官大権」が憲法で定められていました。こうした強大な官吏集団と軍部に支えられた絶対主義的天皇制、天皇主権のもとで、日本は軍国主義国家としてアジア諸国への侵略戦争へと突き進み、太平洋戦争を経て敗戦を迎えることになります。

 

 こうした歴史への反省に立って、戦後の日本は、天皇主権に立つ大日本帝国憲法から国民主権に立つ日本国憲法へと転換を遂げることになります。戦前の「天皇の官吏」のあり方は全面的に否定され、公務員は国民全体の奉仕者になるとともに、「任官大権」も否定され、公務員を選ぶのは国民固有の権利であることを15条1項で明記させることになります。

 

 もちろん、実際にすべての公務員が選挙で国民に選ばれるわけではありません。現在選挙で選ばれるのは国会議員と地方自治体の長、地方議会の議員ですが、国の場合には、国民によって選ばれた国会の多数派が内閣を組織し、内閣を構成する各省大臣が公務員を任命します。地方の場合にも、住民が選んだ長が公務員を任命する、ということを通して、つきつめれば国民に公務員の選定権があるということになるのです。つまり、公務員の地位は、国民から離れた一部の権力者によって付与されるのではなく、究極的には国民の意思によってのみ成立する、という国民主権という鏡を通して公務員の地位を照らし出した規定が15条1項になります。

 

 15条2項の公務員が「全体の奉仕者」であるということも、同じ考えに立つものです。とりわけ注意する必要があるのは、公務員は「一部の奉仕者ではない」とわざわざ付け加えられているところです。これは、戦前の官吏のように、天皇を頂点とする一部の支配者に奉仕するのではなく、まさに国民全体に奉仕すべき存在であり、国民主権に立った公務員であるということを明確に性格規定しているのです。

 

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割

 

 ――2つめの視点としてあげられた、公務員制度の歴史から見た公務員の役割とはどういうことなのでしょうか?

 

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割を考える際に、参考になるのが、アメリカの公務員制度の歴史です。また、戦後日本の国家公務員制度は、アメリカの公務員制度にならってつくられたもので、憲法の制定と並行しながら、GHQが自国の専門家を呼んで、憲法の理念を踏まえながら国家公務員制度のあり方が構想され、国公法が制定されたわけです。その点からしても、アメリカの公務員制度の歴史を踏まえておくことが日本の公務員制度を考えるときにも大切なのです。

 

 19世紀当初のアメリカの公務員制度は、猟官制という慣行が支配していました。猟官制というのは、一言でいえば、大統領選挙で政権が代わるごとに大量の連邦公務員を更迭する仕組みです。アメリカでは早くから2大政党制が発達するわけですが、そのもとで、ある政党が大統領選挙で勝利すると、その政党の支持者を公務員に任命します。そして、次の選挙で別の政党の大統領が当選すると、今度はその政党の支持者へと公務員を入れ替えます。これが猟官制の基本的な仕組みです。

 

 ある意味ではこの猟官制はアメリカ的な民主主義の表れともいえるわけです。民意に従って政権を選び、その政権が民意を踏まえた政策を徹底して遂行するために、それを支持する公務員で固める。そして次の機会に民意が変われば、それに従う。非常に単純に考えれば民主主義の究極の形態ともいえるのですが、官職を得るために政治家と金銭でつながるなど行き過ぎた猟官運動が広がる中で、次第に当初の民主的理念を失い、腐敗の度を強めて、最後は大統領が暗殺されるという事件まで起こってしまいます。

 

 アメリカの猟官制の腐敗と高度で専門的な
 職務への変化による成績主義の確立

 

 他方で、資本主義の発展に伴いさまざまな社会的矛盾が激化する中で、国家機能が著しく拡大・多様化し、公務員の職務内容も当初の比較的単純な職務から高度で専門的な職務へと大きく変化します。猟官制で選挙のたびに入れ替わる数年間だけの公務員というのでは、その高度で専門的な職務を担うことはもはや不可能になっていきます。

 

 この猟官制の腐敗と、高度で専門的な職務への変化によって、アメリカでは、100年くらいの長い歴史を経て、猟官制から成績主義へと移行が進められることになります。

 

 成績主義というのは、党派的立場によってではなく、公務の担い手としての客観的な能力や資格を備えているかどうかを基準に公務員を任用するというものです。成績主義による公務員の役割は、時の政権の政治的支持者として政権に奉仕することではなく、自らの専門的能力を活かして、政権交代の有無を問わず永続的な立場に立って、公正中立の観点から国民全体に奉仕することにある、ということになります。

 

 こうしたアメリカでの猟官主義から成績主義への転換を踏まえた形で、現在の日本の公務員制度ができ、成績主義を踏まえた憲法の「国民全体の奉仕者」という日本における公務員の役割が基本的に確立されたわけです。

 

 アメリカの成績主義やドイツのワイマール憲法から
 日本国憲法の「全体の奉仕者」が生まれた

 

 ――アメリカでの猟官主義から成績主義への移行と、日本国憲法が制定される時に「全体の奉仕者」と明記されたのは、どういった時間軸での関係になるのでしょうか?

 

 アメリカの猟官制が腐敗していったのが19世紀半ばから後半にかけてで、資本主義の高度化が19世紀末から20世紀でした。そこから大きく転換して、今の現代的な公務員制度の元になった法律が1883年にアメリカで制定されます。

 

 しかし、そこで一気に成績主義に変わったわけではなく、完全に成績主義に変わるまでにはごく最近までかかっています。アメリカでは20世紀初頭からそういう流れになって、戦後日本のモデルにした時には大きく成績主義に転換を遂げつつあったということです。

 

 それから、「全体の奉仕者」という規定が憲法に盛り込まれた理由については、最近、憲法の制定過程を調べ始めています。具体的にこれが理由だという明確なものはまだわかっていないのですが、同じ規定がワイマール憲法にあったということがわかっています。ワイマール憲法は第1次世界大戦後、ドイツの社会民主党政権のもとでできた、その時代の最も先進的で民主主義的な憲法と言われています。そのワイマール憲法には、「ドイツの官吏は国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」という規定があるのです。日本国憲法の制定はGHQの十数名のメンバーが中心になって起草しているのですが、法律の専門家が多くて、世界各国の憲法と日本の各種憲法草案も取り入れながら、いわゆるマッカーサー草案をつくっていったと言われています。その過程の中で、「全体の奉仕者」の規定についてはワイマール憲法が参考にされたということが共通して言われていることなのです。

 

 そうすると、日本国憲法15条1項・2項は、猟官主義から成績主義へというアメリカの歴史だけではなく、ドイツのワイマール憲法も含めて、普遍性を持った現代国家における公務員の位置づけを定めた規定ではないかと最近は考えるようになっています。

 

 「一人ひとりの人民の集合体としての
 コミュニティ全体の奉仕者」=公務員

 

 憲法制定過程はもっと調べていきたいと思っていますが、もうひとつ気になっている点について言うと、日本国憲法15条2項の英文の規定は「Public officials are the servants of the whole community」で、全体社会と言いますか、国家でもなく、ただの全体でもなく、まさに人々の集合体であるコミュニティというのが起草したもともとの言葉なのです。それを「全体の奉仕者」という非常に抽象的な日本語を使ったものですから、「全体主義的」な意味で捉えられたり、「全体の奉仕者」だから公務員は国家に尽くせ、ストライキなんかとんでもない、といういわゆる権威的な「全体の奉仕者論」になってしまうという負の側面も出て来てしまいました。当初の最高裁などは、それによって公務員の労働基本権の制限を合理化しました。

 

 英文規定はGHQとやりとりした日本の法制局の官僚が日本語に訳したわけですが、意図的に「whole community」を「全体」と訳したのではないかという指摘もあります。せめて国民をつけて「国民全体の奉仕者」と規定すべきだったのを、国民も落として「全体」としたのではないかというわけです。この点についてもどこまで信憑性があるか確認しなければいけない問題なのですが、いずれにしても15条における「全体の奉仕者」というのは、もともとは抽象的な「全体の奉仕者」ではなく、文字通り「一人ひとりの人民の集合体としてのコミュニティ全体の奉仕者」が公務員なのだという趣旨です。その意味でも、非常に普遍性をもった国民主権のもとでの公務員のあり方だと捉えるべきではないかと考えています。

 

 公務員が「全体の奉仕者」であることを確保する仕組み

 

 ――公務員が「全体の奉仕者」であることの意味はわかりましたが、そのことを確保するためにはどのような仕組みが必要になるのでしょうか。

 

 指摘してきたように、憲法の視点と公務員制度の歴史という2つの視点から、現在の公務員は、一党一派に奉仕するのではなくて、自らの専門的能力を踏まえて、公正中立の観点に立って国民全体に奉仕すべきものということになります。

 

 しかし、それを現実的に保障する制度なりシステムが存在しないと、時の政権の意向で「政権に従うことこそ全体に奉仕することなんだ」などという政治的な支配を受けかねないことになります。ですので、それを防いで、公務員が全体の奉仕者として国民全体のために職務を遂行することを確保する仕組みが必要となります。そのための制度上の原則が、いわゆる「公正中立性」といわれるものです。この公正中立性という言葉を悪用して、公務員そのものが公正中立でなければならないとして公務員の政治活動の自由を制限し正当化するケースがありますが、これは間違った使い方です。本来の正しい意味での公正中立性とは、人事行政の公正中立性を指し、政治が公務員に対して様々な支配や関与をすることを防ぎ、公正中立な人事行政のもとで公務員が国民全体のための奉仕者として職務を遂行できるようにするという意味での公正中立性ということになります。

 

 その最も重要なものが、公務員の身分保障です。簡単にいえば、法令の定める事由によらなければ免職や降任されないということで、その免職や降任の理由も法律で厳格に制限し、客観的にそれを解釈していくことによって恣意的な免職等によって公務員の身分が脅かされないということが一つです。

 

 もう一つは、今でいえば人事院制度ということになるわけですが、もう少し一般化して言えば人事行政全体を担う政府から独立した公正中立な第三者機関の存在が必要になってくるということです。これは、国でいえば人事院、自治体でいえば人事委員会ということに今はなるわけですが、こういう話をすると、組合活動を一生懸命やっている人は「そんなこと言ったって今人事院は給与制度の総合的な見直しで酷いことをやっているじゃないか」「人事委員会はもっと酷いじゃないか」という意見がかなり出るのですね。それは確かにそうなので、そこは正していかなければいけない課題として踏まえておく必要があるのですが、公正中立の第三者機関の存在によって公務員の全体の奉仕者性を支えるという、本来の第三者機関の役割がすごく重要だということは常に意識しておいて欲しいのです。その点を踏まえずに「人事院はいらない」ということにしてしまうと、今の政府の動きから考えても非常に危ういことになりますので、そこは常に意識すべきだと強調しておきたいと思います。

 

 政治主導をめざす国公法「改正」

 

 ――今回の国公法「改正」については、どう見ていますか?

 

 この春の国公法「改正」で、幹部職員を初めて国公法で定義づけました。事務次官、局長、部長ということですが、そこだけ普通の職員と切り離して独自の類型として法的に位置づけた。その上で、その幹部職員の人事については内閣総理大臣と官房長官が一元的に行うという具体的な仕組みをつくったわけですね。そして、それを事務的に支えるために内閣に内閣人事局を設置しました。

 

 これは数年前の自公政権で最初に法案が出て、成立しないまま民主党政権に引き継がれ、民主党政権でも基本的に同じ内容の法案が出されたわけですが、それも廃案になった後に、安倍政権のもとでようやく成立したということになります。つまり、安倍政権が成立したから国公法「改正」が通ったということではなく、自公政権、民主党政権含めて、この間の一つの共通する流れとしてあったということになります。

 

 それを支える考え方がいわゆる「政治主導」ということになるわけです。政と官の関係について従来のあり方を大きく見直し、選挙で勝った政党が内閣を構成するのが本来の議員内閣制であるから、選挙で国民の信を得た政策を実行していくために、公務員、官僚を統制しなければならないというわけです。官僚はそれに従うことこそが本来の役割だということなる。その論理を支えるもう一つが、いわゆる「霞が関解体」論です。今の官僚制度は省庁縦割りで、それぞれが省益だけを追求しているので、ここを解体しない限りは国民の要求は実現しないんだという話になっているわけです。

 

 少しさかのぼると、橋本内閣以降の行政改革の流れの中で、政治主導論というのが日本の政治と行政のあり方を大きく変えてきました。これとセットになっているのが政治改革ということであり、90年代始めに紆余曲折の末に政治改革法案が成立し、2大政党制に向けて小選挙区制を導入したわけです。政権を競い合う二大政党を形成して、その2大政党がマニフェストを掲げて政権を争い、選挙で勝った方がマニフェストを全面的に実行していく。そして、公務員はすべてこれに従え、という論理です。

 

 これを主導したのは財界ですが、そのシンクタンクといっていい21世紀臨調の動きをずっと追っていくと、じつに見事に21世紀臨調の主張に沿っています。そして、この政治主導の論理を最も有効に活用したのが小泉政権で、経済財政諮問会議を大活躍させて新自由主義改革をどんどんやって進めたわけです。そういう流れのなかで今日まで来ているのだろうと思っています。

 

 国家公務員制度改革もその流れのなかで、従来の公務員制度改革とは性格が変わってきました。2001年に出た公務員制度改革大綱が今の流れにつながる出発点ではないかと私は思っているのですが、そこで橋本行革で器は整ったけれど魂が入っていない。これに魂を入れるのが公務員制度改革だというのを打ち出したわけですね。それ以降、政治主導論の流れが今日まで続いてきて、今回の国公法「改正」に結びついたというふうに大きな流れとしては見るべきだろうと思っています。

 

 今回の国公法「改正」は時代に逆行するもの

 

 ――政治主導というのは、アメリカの猟官制に戻るというように考えていいのでしょうか?

 

 そう見えますね。これまで指摘してきたように、公務員制度の歴史的な流れにはまさに逆行するわけですね。アメリカで猟官制が比較的腐敗しないでやっていくことができた時代は、それほど公務が複雑化・高度化していなかったわけで、多少知識がある人であれば誰でもやれるという状況だったのです。それが選挙で勝った政党のためにというところと結びついていたので、いってみれば民主的な理念がそれなりにシステムとしての猟官制を支える時代状況があったからこそやっていくことが可能だったわけです。

 

 ところが、今やそんなことはもう現実的にできない。いくら猟官制をやろうとしても不可能なくらい公務自体が多様化・複雑化・高度化してきた中で、政治とは違う公務員独自の役割が出てきたわけです。もちろん最後は国民主権ですから、最後のところでは政治に従わなければいけない、政権に従わなければいけない、これは全面的に否定できないのですが、しかし、ただ政治に公務員が服従していればいいという話ではなくて、公務員が場合によっては政治も正すという観点から公務の専門家として意見を述べ、できるだけ国民全体の奉仕者としての公務員の役割を政治に反映させていくことが必要になっているのが現代なのです。

 

 本当はそれをきちんと保障する仕組みが必要で、日本の場合はなかなかそれがなくて大変なのですが、本来的にはそういう役割を公務員は持っているわけです。私が描く政官の正しいあり方は、公務員は専門家として中立公正の立場で、どんな政党が政権についていようとも、時の政権に可能な限り自らの意見を反映させていく役割があるということです。他方で政治家の役割は、公務員の中立公正さを最大限尊重して、幅広くいろいろな意見を吸い上げ、最後は政治の責任で決めて実施し、その責任は選挙で問う。これが現代の政官の本来あるべき姿だと、私は考えています。

 

 この現代の到達点から今の政治主導論を見ると、マニフェストで競い合って勝った政党に公務員も全面的に従えと説くことは、やはり猟官制の時代に戻ることになり、歴史を逆行させることになると思っています。

 

 ――民主党は、アメリカの猟官制の歴史などをきちんと知らないということでしょうか?

 

 知らないのでしょうね。民主党を観察していると、ある意味では真剣に良かれと思ってやっているようなところもあるように思います。しかし、今の時代にそれを説くことの現実的な意味ははっきりしていて、橋本行革で出て来た政治主導の流れから小泉構造改革に象徴される政治主導によって、貧困と格差が拡大するという反国民的な結果になっているわけです。

 

 この政治主導がもたらす反国民性を見ないで、ただ選挙で勝った方に公務員も全面的に従うことが国民主権と議院内閣制の要請だという論理は非常に危険な面をもっています。

 

 小選挙区制のもとでの「政治主導」は根本に問題あり

 

 ――選挙自体も小選挙区制で民意が反映されていないという問題もあります。

 

 そうですね。政治主導論は、小選挙区制を前提とする政権交代可能な政治を前提とするものですが、そもそも得票率と議席占有率の大きな乖離を不可避とする小選挙区制のもとでは、政権与党が国民の多数派であり民意が反映されているという前提自体に根本的な疑問があるわけです。

 

 実際、過去2回の小選挙区制での選挙結果を見ると、2009年の総選挙では民主党が47%の得票率で74%の議席を獲得し、また2013年の総選挙では自民党が43%の得票率で79%の議席を獲得しているわけです。このことは、国民の多数意思にもとづく政権交代という構図がいかに虚構に満ちたものであるかを示しているわけです。政治主導論の根本に問題があるのです。

 

 民意を反映する手段は選挙だけではない

 

 それから、国民主権のもとでは、国会議員選挙が民意を反映する最も重要な機会であることは否定できませんが、それと合わせて、多様な手段を通して政治過程に民意を反映することが現代民主主義の不可欠な要請ということになります。情報公開や各種行政手続き、公聴会・審議会制度の整備、住民投票・直接請求制度の採用など、そのときどきの政策決定に民意を反映させるための多様な制度や仕組みがそれであり、たとえ選挙公約に掲げた政策であっても、これらのいろいろな手段を通して少数意見を含む国民の多様な意見を反映しながら政策の決定・執行に当たることが、政権にとっては求められるのです。数年に1度の選挙の結果でつくられた議会多数派の意思こそ民意であるとして、与党と内閣による政治主導・官邸主導を強調することは、場合によっては、民意の正しい反映を妨げるだけでなく、「民意」を口実とする「与党独裁体制」を招くことになりかねないわけです。

 

 政治主導論に基づく「縦割り行政」批判の危険性

 

 ――縦割り行政の弊害で省益が優先され、霞が関に権限が集中しているからダメなんだという主張が常にあります。この点についてはどう考えればいいでしょうか。

 

 本当の意味で行政が国民生活に背を向けている原因は、政官財の癒着や行政の官僚主義などに原因があるわけですね。たとえばキャリア官僚の「天下り」を例にとると、経産省から原発産業へとか、防衛省から軍需産業へとか、たくさんあって、これは当然あってはならないことなのですが、その本質的な問題はまったくアンタッチャブルにしておいて、第1次安倍政権がそれを根絶すると言って国公法を「改正」しましたがまったく変わっていない。むしろそれがおおっぴらに許される状況になってきているという問題があります。

 

 また官製談合など、ときどき表に出るような問題もあって、これ自体は誰が見ても良くないことですから、それ自体は国民的な観点からも絶対に正さなければいけないことで、少しは国会で追及されたりするわけですが、本当に切り込もうとはしていない。構造には手は付けないわけです。他方で、霞が関が強固で縦割りだから政治のやろうとしている国民のための施策が阻害されている、だから地方分権を、という話などにもなってくるのですが、結局本当に正さないといけないところには切り込まないで、それを温存したまま官僚制そのものが悪だという印象を国民に植え付けようとしている。どこまで意図的かどうかは別として、結果的にそうなっていると思うのですね。

 

 ところがそれによって何が起きるかというと、結局、曲がりなりにも国民のためにやっている省庁の仕事が時の政権による新自由主義的な政策の妨げになると、それをつぶすために縦割り行政の批判を利用したりするわけです。これは、小泉構造改革以来とりわけ目立つ手法で、ターゲットになっている省庁の一つは厚生労働省ですね。とくに労働規制緩和の問題で厚労省もあまりきちんとしていない面はあるのですが、それでもギリギリ労働者のために一定のところまでは抵抗しているところもある。それを構造改革の阻害要因だということでバッシングする。混合診療の問題でも同じで、国民サイドに立っている省庁を縦割り行政で批判して、結局、政治主導が妨げられるということに帰結させていくわけです。その側面を十分見ないで「霞が関が悪い」というだけの議論は非常に危ういのです。ここがいま盛んに政治サイドから行われている縦割り行政批判、霞が関批判の大きな問題点の一つだと思います。

 

 それに、実際に省庁で働いている圧倒的多数の職員は国公労連にも結集する普通の公務労働者なわけで、その人たちは別に縦割り行政で自分の利益のためだけに仕事をしているわけでもありませんし、仮に縦割り行政に固執したからと言って自分の利益に跳ね返ってくるわけでもありません。圧倒的多数の職員は、国民のために働いているし、労働運動においてもすべての労働者のためにたたかっているわけです。そこも一緒くたにして批判の対象にするということで、こうしたバッシングというのは、単なるまやかしではなく、二重三重のまやかしで、非常に悪い機能を果たしていると思います。

 

 これらは政治主導の立場に立った官僚批判ですが、最近は、それとは別に一般国民のレベルでの公務員バッシングは、かつてとは結構変わってきているのではないかという感じがしています。

 

 かつては本当に素朴な意味で、「窓口に行くと公務員は働いていない」とか「新聞ばかり読んでいる」とか「給料が保障されている」というのが80年代は強かったですよね。マスコミの批判もそういうものと、「公費天国」などというお金を湯水のように使うというのが随分話題になりましたが、そういう時代からみると、本当に身近にいる公務員そのものにやっかんだり、批判したりというのは前ほど強くなくなっているのではないかと思うのです。むしろ公務員も大変だというのが国民にもわかってきた。たとえば教員が長時間労働でいかに大変かということなどが分かってきているので、そこは一つ、労働運動の拠り所にもなるのではないかと感じています。

 

 むしろ今問題なのは、政治部門による意図的な、政治主導論に基づく省庁批判、官僚批判であって、国民との関係でいえば、公務員バッシングは以前よりは薄らいできているのではないか。結局、国民自身が非常に大変な状況になってきていて、公務の職場も「官製ワーキングプア」の深刻な状況であるとか、民間の職場と同様に深刻になってきていることが分かってきて、そこを理解し合える状況が逆にこの間の構造改革の中で生まれてきているという側面があるのではないかと思っています。

【現場から告発】たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権

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▲首相公邸も私物化する安倍昭恵氏(「安倍昭恵チャンネル」のサイトより)


 すでに以下の3つのエントリーで、森友事件の背景には、安倍政権による国家行政の私物化があることを指摘してきました。

 

◆各省大臣の秘書は1人で「私人」の安倍昭恵氏には秘書5人=国家公務員を首相のプライベートコマンド(私兵)化する官邸の官僚支配がまねいた森友学園問題
 

◆安倍政権は国家公務員を休日にタダ働きで東京から大阪まで連れ回すブラック政権=安倍昭恵氏が国家公務員を私物化、安倍政権の4年間が同じ運用なら税金のムダ使いはすでに1億円以上
 

◆森友事件の影の主役は内閣人事局=霞が関キャリア官僚は「安倍政権の奉仕者」で縁故・腐敗・汚職・大統領暗殺まねいた200年前のアメリカ猟官制時代と同じ

 

 ジャーナリストのまさのあつこさんによる「安倍内閣総理大臣夫人付FAX「個人で保有」:行政文書の定義逃れには無理がある」は鋭い指摘だと思います。この点にかかわって、私たちの仲間(全経済産業労働組合の飯塚盛康さんと全労働大阪基準支部)が国家公務員の現場の実態を踏まえて、昭恵氏付職員個人では不可能であることを指摘していますので紹介します。

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘その1(※本人に了承を得ての転載です)

 

 今、昭恵夫人付きの谷査恵子さんが財務省に問い合わせたこと自体が、財務省に忖度あるいは圧力になったのではないかと問題になっています。

 

 政府は籠池氏が昭恵夫人の携帯の留守電に入れた要件に基づいて、谷さんが動いたのではなく、籠池氏から直接谷さんに郵送された内容に基づいて、谷さん個人が動いたと言っています。

 

 留守電の内容だろうが、郵送の内容だろうが、課長補佐クラスの谷さんは、昭恵夫人と内閣官房のそれなりの役職に、財務省への質問内容と回答について、相談報告しているはずです。なぜなら、それは国家公務員としての最低のルールだからです。

 

 一方、財務省も昭恵夫人付きの谷さんから、質問があったから答えているわけで、一私人の質問に来年度の予算措置まで言うわけがありません。

 

 この財務省の回答も同様に室長個人のものではありません。

 

 一般的に役所は政治家とその秘書からの問い合わせについては、〇政(まるせい)案件と言って、その問い合わせ内容と回答について、かなり上に報告しているはずです。

 

 この案件も、総理大臣夫人秘書からのものですから、財務省の上の方も知っているはずです。

 

 もし、谷さんと財務省の室長との個人でのものだとしたら、まだ予算措置する段階のものを室長は一私人に漏らし、それを知った谷さんが一私人である昭恵夫人に報告し、籠池氏に教えたことになります。

 

 財務省の室長と谷さんは守秘義務違反、国家公務員法違反になりますよ。

 

 昭恵夫人のfacebookに夫人と一緒に写る谷さんの写真があります。3年間の昭恵夫人秘書という役職から経産省に戻る谷さんの送別会で昭恵夫人と一緒に写っている谷さんは、涙を浮かべているように見えます。

 

 3年間、昭恵夫人のために仕事をしてきた谷さんに、全責任を負わせて安倍首相を守ろうとしている昭恵夫人と菅官房長官に対して、元経産省の職員として腸が煮えくり返る思いです。

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘その2(※本人に了承を得ての転載です)

 

 谷さんのFAXは個人がやったことで昭恵夫人は知らないということになっています。このFAXですが、政府も提出しましたね。

 

 では、このFAXの原本はどこにあったのかを考えてみます。

 

 ◆谷さんから提供された。

 

 はじめに谷さんが個人のPCやUSBに入っていたものを提供したのかを考えます。

 

 ここは、私がいた省庁からの推測になりますが、内閣官房も同じかそれ以上のセキュリティになっていると思います。

 

 役所で使うPCは情報が流出しないようにシンクライアントPCか、少なくとも役所が貸し出すPW付きのUSBだけが使用できるだけで、外部の記憶装置(USBや外付けHDD、DVD)は使用することはできません。

 

 もし、谷さんが個人的にその原本を持ち出そうとしたら、メールに添付して、個人のメールアドレスに送るしかないと思いますが、あの時、このFAXが問題になるとは思っていないので、この原本だけを持ち出すことは、考えられません。

 

 持ち出すとしたら、勤務した3年間で作成した書類全部を持ち出しているはずですが、そんなバカなことをする人はいないと思います。

 

 ◆内閣官房のサーバーに保存されていた

 

 以上のことから、谷さんから個人的に提供されたとは考えられないので、内閣官房のサーバにある文書フォルダに入っていたと考えられます。

 

 それでは、その文書フォルダに個人的な文書を保存するのかという問題ですが、例えば同期会の案内文書などを保存することがあるかもしれませんが、少なくとも異動する時には削除するでしょう。

 

 それでは、内閣官房の時に使用していたpcのドキュメントフォルダに保存したものなのか?谷さんが使っていたPCは異動した時にPCを管理する部署に返還して、そこが初期化して他の人に貸すので、pcのフォルダにはありません。

 

 ◆なぜ内閣官房のサーバーに保存されていたのか

 

 谷さんは「個人」で作った文書ではなく、業務で作成した書類と考えたからサーバーに保存していたのです。
 

 それを、同期会や懇親会の案内と同じ「個人文書」にして、谷さんに責任を負わせようとする政府や自民党は本当にひどいと思います。

 

▼全労働大阪基準支部のツイート

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845896801773281280

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845898380903514114

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845966057630162944

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845966636360200192

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845967170995568640

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845968068530483200

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845977829313593344

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845987737823985665

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845989965108469760

https://twitter.com/zenrododaiki/status/845991249999912960

 

「アッキーのスキーでも森友学園でも国家公務員を連れて行くわよ」と国家行政を私物化する安倍政権

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「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」のサイトのヘッダー画像


 ジャーナリスト・まさのあつこさんによる「谷FAXを「公務員として丁寧な対応」と称した内閣審議官は谷さんの上司」を読むと、昭恵氏付職員の谷査恵子氏の立場がよく分かります。

 

 大事なポイントを整理すると――

 

 ◆名刺の肩書きなどに「内閣総理大臣夫人付」とあるが、正式な官職の発令は「内閣事務官 内閣総務官室」で、直接の上司は、内閣官房の土生栄二(はぶえいじ)内閣審議官である。

 

 ◆「総理大臣の公務の遂行を総理夫人が補助することを支援する」のが夫人付職員の公務である。

 

 ――ということですから、夫人付職員の谷査恵子氏は森友学園の件でも昭恵氏の公務を支援していたわけです。そして、その昭恵氏の公務とは「安倍晋三総理大臣の公務遂行補助」です。ようするに、安倍晋三氏と昭恵氏と谷査恵子氏は同じ「総理大臣の公務」を遂行しているのです。

 

 さらにわかりやすく3人の公務を書くと――

 

【安倍晋三氏】総理大臣の公務の遂行
【安倍昭恵氏】総理大臣の公務の遂行の補助
【谷査恵子氏】総理大臣の公務の遂行の補助の支援

 

 ――となり、3人に共通するのは「総理大臣の公務の遂行」です。安倍晋三氏も昭恵氏も谷査恵子氏も公務の出発点は、「総理大臣の公務の遂行」なのです。(当たり前の話ですが)

 

 なので、夫人付職員の公務として「総理大臣の公務の遂行」のために谷さんは、下記のようにFAXも封書も送っているわけです。

 

https://twitter.com/info_9/status/844813633141932033

 

https://twitter.com/knamekata/status/847615328196546562

 

 それから、「「アッキー財布」は官房機密費!? “お付きの旅費は自腹”に疑惑(「週刊新潮」2017年3月30日号掲載)」という指摘がされています。

 

 この問題について、私たちの仲間である全経済産業労働組合の飯塚盛康さんが、現場での実際の運用を踏まえてフェイスブックで指摘していますので紹介します。(※前回の「【現場から告発】たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権」と同じく本人に了承を得ての転載です)

 

全経済産業労働組合の飯塚盛康さんのフェイスブックでの指摘

 

 国家公務員が出張する時は、当然ですが、役所の旅費予算から支出されます。

 

 しかし、省所管の業務に関する民間等が開催する研究会、利害関係者以外から依頼を受けた会議のスピーカーへの出席や大臣が出席する会議に秘書が随行する時の旅費は先方が負担しても問題ありません。(人事院の倫理法事例集から)

 

 内閣官房は昭恵夫人が森友学園に行ったのは公務ということなので、昭恵夫人と秘書の旅費は内閣官房の旅費予算から支出しても問題ないと思いますが、なぜか内閣官房は昭恵夫人が支出したと言っています。

 

 国家公務員が出張する時は、事前に旅行命令伺いを書いて所属課長の決済をもらわなければなりません。

 

 ここからは、以前所属していた職場の例にならうと、昭恵夫人が旅費を負担する場合はどういう手続を踏むのかというと、昭恵夫人から内閣官房に対して秘書を連れていくが、旅費は私が負担しますという書類をもらった上で、本人が「旅費先方負担」(安倍昭恵氏負担と書くかもしれません)と記載した上で決済をもらいます。

 

 その日の出勤簿は出張になります。

 

 この記事(※下記参照)にある昭恵夫人が北海道等へ行った時の仕事が公務か私的なものなのかはわかりませんが、その日の秘書の出勤簿が出張あるいは外勤となっていれば、内閣官房の旅費予算か昭恵夫人が負担しているので旅行命令伺いが内閣官房に残っているはずです。

 

 3月3日から5日に昭恵夫人は「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」というイベントに参加し、秘書も随行しているようですが、あまりにも私的なものなので、金曜日の秘書の出勤簿は年休になっているはずです。

 

 年休をとって私的なイベントに参加する秘書の旅費を昭恵夫人が負担するのは、上司のおごりということで、まあ問題ないんでしょ。

 

 官房機密費から支出したのかは不明ですが、秘書の出勤簿と旅行命令伺いを情報公開請求して突き合わせてみるといいかもしれません。

 

▼参考
※「アッキー財布」は官房機密費!? “お付きの旅費は自腹”に疑惑
 デイリー新潮 3/30(木) 5:59配信

 昭恵夫人の“出張”には、政府職員が同行することが多い。だから「公人」ではないかと問えば、その旅費は夫人が私費で負担している――。政府はそういう見解だが、年間数十回も、本当に私費で賄っているのか。そこで疑惑浮上。官房機密費ではないのか……

 

 昭恵夫人について、政府はご丁寧にも「公人ではなく私人であると認識している」という答弁書を閣議決定したが、その「私人」のもとには政府職員の“サポート役”が経産省と外務省から5人も配置されている。ちなみに、歴代の総理夫人で常勤職員が付くのも、2人以上が配置されたのも初めてなのである。

 

 それを聞いて、歴代の総理夫人はともかく、昭恵夫人にかぎって「私人」だと思う人は、よほど偏屈だと言っても差支えあるまい。

 

 しかも彼らは夫人の“出張”にも頻繁に連れ添っている。このところ国会で明らかになっただけでも、森友学園運営の塚本幼稚園での講演や山形でのスキーイベントに数回ずつ。さらには“疑惑の本丸”とされる加計学園に絡むものも、神戸の保育園での講演や、岡山での弁論大会まで複数回にのぼる。

 

 政府は職員の帯同を、当初は「私的活動」としながら一転、「公務」だったと認めたが、一方、菅官房長官は「職員の旅費は夫人が私費で支出した」と説明した。だが、昭恵夫人は頻繁な“出張”のたびに、職員の旅費にポケットマネーを投じるだろうか。職員はそれをよしとするだろうか。

 

■1人に290万円

 

 本誌(「週刊新潮」)は昨年4月から1年間の昭恵夫人の足跡を追ってみた。すると講演、イベントへの参加、組織や施設の訪問や見学……と、実によく出かけている。その回数たるや、選挙応援や総理も参加した式典、総理の外遊同行を除いても、北海道2回、東北8回、東京を除く関東5回、中部9回、関西10回、中国15回、四国1回、九州・沖縄2回、そして海外4回にもおよぶ。

 

 ちなみに、それぞれに職員が1人同行したと仮定すると、新幹線は普通車、飛行機はエコノミークラスを利用し、ビジネスホテルに宿泊したとして見積もっても、290万円ほどかかる計算になるのである。

 

 「公務員は出張命令がないかぎり勝手に出かけられず、出張命令には予算措置がつきます。予算措置がついているなら、なぜ私人の活動に公金を拠出するのかという批判は免れませんし、職員の旅費は昭恵夫人が出した、という説明との間にも齟齬が生じます」

 

 霞が関のさる高級官僚は、そう言って、こう継いだ。

 

 「官房機密費という語を用いると、すべてに説明がつくのです。これは総理とその周辺にいる人間に関わる事柄なら何にでも使える、使い勝手のいいお金で、その額はかなり減ったと言われますが、それでも月に1億円以上あるとされます。職員の日当も予算をつけなくても金一封で済むし、切符などをいちいち精算する必要もありません」

 

 疑惑の目を向けられたくなければ、きちんと説明するほかなかろう。
(特集「炸裂! 『死なばモリトモ』爆弾」より 「週刊新潮」2017年3月30日号 掲載)

 

 飯塚さんが指摘している「官房機密費から支出したのかは不明ですが、秘書の出勤簿と旅行命令伺いを情報公開請求して突き合わせてみる」ということは実行する必要があると思います。国家行政の私物化、第2第3の森友学園を生まないためには、昭恵氏の公務が本当に「総理大臣の公務の遂行の補助」としてきちんと行われてきたかどうかをチェックする必要がありますし今後もチェックしていく必要があります。

 

 昭恵氏の森友学園での講演に夫人付職員が同行したことについて、菅義偉官房長官は、「首相夫人としての公的な活動に関する連絡・調整の必要があったから」で「私的な活動そのものをサポートするためではなかった」と述べています。この論法でいくと、昭恵氏の私的な活動すべてについても「連絡・調整の必要があるから」という理由で、夫人付職員が同行できることになります。おそらく、この理屈だからこそ、「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」というイベントにも夫人付職員は同行させられているのでしょう。これが、安倍政権の言う「総理大臣の公務の遂行の補助の支援」の実態でしょう。
 

 そして、まさのあつこさんが次のようにツイッターで指摘しているように、それぞれに証人喚問し、「総理夫人付」の「総理大臣の公務の遂行の補助の支援」を明らかにする必要があります。これ以上、安倍政権による国家行政の私物化を許さないために。

 

▼まさのあつこさんのツイッターでの指摘

 

1.安倍首相「夫妻」と谷さんを証人喚問し
・「総理夫人付」ポスト創設の理由
・「総理夫人付」の職務、
2.谷さんと土生審議官を証人喚問し、
・「総理夫人付」として内閣総務官室から他の府省へ接触した全ての「職務」
を尋ねるべし

 

井上伸

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